2013年11月05日

こころ





と書くのと,

こころ

と書くのではニュアンスが変わる。

こころというと,

無疵なこゝろが何處にある

というランボーのフレーズが浮かぶ。

「心」は非常に多義的・抽象的な概念で,文脈依存で,さまざまな精神作用を言うことが多い。たとえば,辞書だと,

人間の精神作用のもとになるもの,
人間の精神の作用そのもの,
知識・感情・意志の総体,
おもわく,
気持ち,
思いやり,
情け,

等々一杯の意味が出てくるが,僕は,「こころ」は,意志や知識とは別の,もっと情緒的なもののような気がしている。言ってみると,Mindやspiritではなく,heartが近いのではないか。

ランボーの詩は,元は知らず,訳詩はそれに近い。

空海は『秘密曼荼羅十住心論』で,「心」の段階を10の層に分けて,最後の密教的な境地への悟りが深まる道筋を説いたそうだ。

異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学,老荘思想の境地
唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
一道無為心 - 大乗仏教のうち天台宗の境地
極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地
秘密荘厳心 - 真言密教の境地

「こころ」は,ここで言う,境地ないし心境というのが近いか。心持ちというか,心地というか…。

でなければ,触れあいや共鳴や,共振れは起きない。それは,相手の感情や思いや気持ちで揺れて,揺らぐ,柔らかなものの気がする。

和毛,

柔毛,

赤子の肌,

といった感じか。いやいや違うな。

マシュマロ,

ゼリー

の感じか,それも,違う。

繊毛,

イソギンチャクの触手

のようなイメージか。これもちょっと違う。薄い,

オブラート,

あるいは,

ビブラート,

が近いか。

でも,こころは半歩後ろからついてくる。だから,とっさには傷に気づかない。痛みに気づくのに,タイムラグがある。

悔いは瞬間には来ない。何かの後,ほんの少しずれてやってくる。それに似ている。しばらくして,自分の傷みに気づく。

昔,待ち合わせで三時間待ったことがある(逆もあるのだが)。そのときは,気づかない。いろいろ忖度して,こころは忙しい。しかし,後日心の傷みに気づく。

自分だけが鈍感なのかと思った。そうではない。現実の,その一瞬一瞬,一刻一刻,その応接に忙しく,ただ忘れている。ほっと一息ついた時,自分の心の傷みに気づく。こころは,遅れてやってくる。

悲しみが深いほど,タイムラグがある。軽いものなら,すぐ来るが,深いほど,しばらく置いて,打ちのめす。

おれの理由は
俺には見えぬ
おれの涙が
見えないように(石原吉郎「理由」)

涙が出ると悲しみがやってくる。それと似ている。ふいに頭をよぎる。

見えぬけれどもあるんだよ,
見えぬものでもあるんだよ。

とは,金子みすゞであったか。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm






#こころ
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#オブラート
posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | こころ | 更新情報をチェックする
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