ウォーキング
ウォーキングの自分のペースがつかめているときは,一種自分なりのリズム感があり,どうやらピタリと思考のテンポとシンクロすることがある。そういう時に限って,浮かんだアイデアをメモするものがなくて,焦った記憶がある。忘れてしまったアイデアが大魚だったように思えて,悔しかったことがある。
いっときジョギングにはまっていたことがあるが,その時は,そういうことはほとんど起きなかった。たぶん,人によると思うが,僕には,思考や発想のリズムとシンクロナイズすることがなかったのだろう。
発想で行き詰まった時,距離を取ることがいいとされる。いってみると,メタ・ポジションを取る,ということなのだが,それには,
時間的,
空間的,
の両方があるとされるが,その意味では,ジョギングもウォーキングも日常の自分から距離を取っていることに変わりはないから,たぶん残るのはリズムというかテンポなのかと思う。
ただ自分が初心者だったせいもあるが,ジョギングの場合,いろいろなことを考える余裕というものがなく,たぶん,メタの位置に自分を置けず,言ってみると即自的にただひたすら走る自分に密着していた,というかそれ以外のゆとりがなかった,というだけかもしれない。
それに比べてウォーキングは,ある意味ゆったりと周囲を見ながら,歩いていて,いわば,自分に対してもメタ・ポジションをとれているのかもしれない。
自分のからだの動き,心の動き,感情の動きに対してメタ・ポジションを取れていれば,自分の発想もチェックできる。
しかし,だ。何かを一生懸命考えている時ではなく,ただ黙々と歩くことに専念している時に,不意に,前日の思考の流れとつながって,ふと,あらたな着眼に気づくということの方が多い気がする。
なかなか一筋縄ではいかない。
生体のリズムというものがある。歩き方にも,人独自のそれがある。
ただ,僕の妄想では,自分のリズムに即して,即自的に歩いているときは,確かに気持ちはいいが,出ることは出ても,大した発想は出ない。
しかし,それと微妙にずれている,どういったらいいか,歩行のテンポが,生体のそれとずれている時の方が,発想が出やすいという気がしている。
それもメタ・ポジションなのだというと,身も蓋もないが。
ずれている時に,不意に前日のことを思い出すと,あるいは意識的にでもいいが,発想が動き始めることがある。もちろん,発想は,
おのれの知識と経験の函数
だから,おのれの中にないものは生まれない。しかし,発想した瞬間の,意外感は,意外なものとリンクすることから生ずる。
それは視点が変わると言ってもいいが,リフレーミングと言ってもいい。
そのために,準備期間がいるという言い方が出来なくもないが,そうは言いたくない。そのときは,そのこととつながるとは思わなかった,気づかなかったから,トンネルビジョンに陥っていた,しかし,別の切り口で見ると,全く様相が変わる。
そうだったのか,
とはそういうときに感じる。
じゃあ,そういう距離の取り方を,意識的にしたらどうなるのか,
それがいわゆる発想法ということになるが。僕の勉強した範囲では,ほとんど役に立たなかった。結局,発想は,その人の生理だから,技法と言いつつ,自分の生理をメタ整理しているだけと言ってもいい。
オズボーンのチェックリストでさえ,オズボーンの生理を感じる。
他に利用できないか,
が最初に来るところに,それを感じる。次が,
他からアイデアが借りられないか,
これは,生理というより癖というに近いか。どのみち,そういうことだ。ならば,
自分の癖を強化する方向か,
自分の癖の弱点を強化する方向か,
自分流の発想法を考える鍵は,そこにしかない。といって,
頭に中にないものは使えない。
せいぜい,ひとつかふたつ,だろう。僕は,
対
と
目的(と手段=目標)
をキーにしているが,これも,いまの自分の生理にあっているだけだ。
今日のアイデア;
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