2013年11月19日

二つ目



先日,二つ目の立川春吾さんの落語を聞く機会があった。

素人には,二つ目と真打の違いは判らない。そこで,まず制度のおさらいをしてみる。

東京では,見習い,前座,二つ目,真打の身分の区分けがある。大阪にはない。

弟子入りを志願し,師匠から入門の許可を得て,前座名(名前)を師匠から貰い,前座登録をして,前座として楽屋入りするまでは「見習い」と呼ぶ,

らしい。おもに師匠宅で師匠・その家族のために家事などの下働き・雑用をする。休みはない。昔は師匠宅に住み込みで身の回りの世話をすることもあったが,現在は通いの方が多い。見習いと前座は,落語家社会では一人前とみなされない,とされる。修業時代の苦労話は,この時代のことが多い。

前座は,師匠宅の家事・雑用の他に,寄席での仕事(前座修行)が課せられる。寄席での,呼び込み太鼓・鳴り物・めくりの出し入れ・色物の道具の用意と回収・マイクのセッティング・茶汲み・着物の管理など楽屋,寄席共に毎日雑用をこなす。寄席で「開口一番」と呼ばれる最初の一席を受持つ場合もあるが,あくまで勉強の為であるから通常は落語家名は番組にも載らない。また,割(出演料)ももらえない。

二つ目は,だるまに二つの目を入れられるほど,芸が開眼したという意味らしい。落語家社会の中でようやく一人前とみなされる。自分の労力と時間を自分のためにだけ使うことが許される。そこで,許されるのは,
(紋付きの)羽織を着る,
番組にも名前が出る,
自分の手拭いを昇進の挨拶に配る,
飲酒・喫煙
自分で落語会を開催できる,
他の落語会に出演できる,
テレビ・ラジオへの売り込みをし,出演することができる,
寄席で落語をして割がもらえる等々。

真打は,「(蝋燭の)芯を打つ」ことから転じた,とされる。蝋燭は江戸時代の室内照明であり,それを打つ=消すのは最後に上がる出番の落語家が演じ終わってからである。つまりとりのみが消すことができる=芯を打て,寄席で主任(とり)を務めることができる資格が与えられ,「師匠」と呼ばれ,弟子をとることが許される。

ここまでに10年,長い人で15年くらいという,長い長い修業時代が続くことになる。

こうみると,二つ目と真打との差は,恰好だけ見るとそれほどない。しかし,誰それが真打になるかならないかで,協会でもめたり,本人にとっても,大手を振って噺家というには,何かが足りない,というか何が加わると,胸を張れるのだろう。しかし,

芸だけで見ると何が違うのか。

今回,寄席以外では初めて,二つ目の方の噺を聞いたが,聞いている限りでは,素人には差はわからない,後で,ご本人とちょっと話したとき,

話が棒切れ,

しゃべり言葉がぶっきらぼう,

話し方がぶつ切れ,

等々と自己評価された。一応,人前で話して恥ずかしくないレベルということが二つ目だとすると,守破離の守と破の間あたりということになるのだろう。

僕は話の間だと感じた。

落語家(噺家)は,独特の語りぶりを身に着ける。だいたい話を聞いているだけで,ああ噺家だなと思わせる話の仕方,口調がある。しかし,それは,噺家としてとば口で,そこから,自分流儀の,

テンポ,

間合い,

リズム,

を獲得していくのだと思う。僕も話す仕事をするが,自分が乗っている時が(聞き手に)いい時かどうかは別にして,独自のリズムがあるように思う。テンポについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11349873.html

でもふれたが,

ああ,誰々だ,

と聞くだけでわかるようになれば,守破離の離へ到達し,名人への道に入ることになるのだろう。

その意味で,早口なのは,いまふうだが(柳家わさびさんの時にも感じた),早口,同じ時間に投入する言葉数が増えるのは仕方がない。しかし,同じ早口でも,聴き手にゆとりのある聞え方があるように思う。

話の筋そのものは,誰が話しても,古典落語なら同じだ。しかし,聞いた印象が変わるのは,真打昇進したばかりの世楽師匠と話した時にきいたような,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11225523.html

噺家が,その話の演出家でもあり,出演者でもあるので,話の印象は変わる。

確かに,話の構成の仕方の差はもちろんあるが,しかし聞き比べない限り,それは一回性の高座ではわからない。もちろん,声色やふりを多用して,語り部のように語るのは,本道から外れるから,

同じ喋り口調なのに,違う人に聞こえる,

のではなく,

同じ喋り口調なのに,会話(掛け合い)のやり取りを通して,二人の息遣いがわかる,

というか,

会話のひとつだけ取り出すと,どれも同じなのに,掛け合いとして成立することで,その場が生き生きしてくる,というのが落語の面白さのように感じでいる。

落語は,会話で成り立っているから,別に女の声色にならなくても,夫と妻の掛け合いというシチュエーションで,夫婦二人が際立つ,

夫婦の会話としての特色が浮かび上がる,

というそういう場をつくっているのだと思う。

とすると,その両者,あるいは登場する人々の,掛け合いの切り替わりがテンポになる。

ぶつぶつと,切れるのは,ひとつひとつの語り手の噺ではなく,その切り替り,切れ目の間なのではないか。つまり,

会話全体を地とすると,一方が話しているのを図として際立たせるには,そこで間がいる,

ということのように思う。

それは,日常会話でも同じかもしれない。どこに切れ目をいれるかで,図が際立ち,図と地の切り替わりで,話のテンポが変わり,リズムが動くのではないか。

メリハリというのは,こんなところにもありそうだ。違うかな…!



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 05:15| 噺家 | 更新情報をチェックする