今年も酉の市に出かけた。もうこれで,20年以上続けている。
このところ暖かい酉の市が続いていたが,久しぶりに寒い酉の市となった。
きっかけは,いまは疎遠になった先輩と,たまたま浅草で飲んでいた時,その日が酉の市で,そこで,熊手を一緒に買ったのが,きっかけであった。それ以来,しばらくは,その先輩と,疎遠になってからは,一人で,ずっと行っている。
まあ,縁起物という意味もあるが,一年の感謝と,来年への期待を込めて,ずっと続けている。
ある意味では,自分の毎年の確認なのかもしれない。商売を続けていく限り,好不調はある。そんなに大儲けしたいとは思はないし,個人商店では,体力的に,あるいは物理的に限度がある。けれども,今年も続けてこれたという感謝と確認,それと自分への励ましで,毎年熊手を買って,その証にしている。
酉の市は,関東地方に多く所在する鷲神社の年中行事として知られるが,鷲神社は,日本武尊を祀り,武運長久,開運,商売繁盛の神として信仰される。熊手が縁起物。
大阪で言うと,「えべっさん」と呼ばれるのがそれにあたる。「えびす様」または「恵比寿神」と呼ばれている七福神の一人。毎年1月9日~11日。9日が「宵戎」,10日が「十日戎」,11日が「残り福」と呼ばれているらしい。
境内では,関東同様熊手(さらえ)のほか,ささが有名で,参拝をして,拝殿の左右にある神社授与所で福笹を授与してもらい,この福笹に吉兆と呼ばれる縁起物の小宝を福むすめにつけてもらう。
これは,えびす講としてくくられるもののひとつらしいが,これが本来の商売人の神様といっていい。
神無月に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神ないしかまど神を祀り,1年の無事を感謝し,五穀豊穣,大漁,あるいは商売繁盛を祈願する,
といわれ,地方や社寺によっては,旧暦の10月20日であったり,秋と春(1月20日)の2回開催したり,十日えびすとして1月10日や1月15日とその前後などに行うこともある。えびす祭やえべっさんとも言われる。えびすを主祭神とするえびす神社のみならず,摂末社として祀っている社寺でもおこなわれる,という。
酉の市は,どうもそれとは由来を異にする。
酉の市の由来は,大鳥神社(鷲神社)と浅草酉の寺(長国寺)で,それぞれ異なる解説がされる。しかし,鷲大明神社は「鷲宮(わしのみや)」,長国寺は「酉の寺」とも呼ばれ,明治初年には神仏分離令により,長国寺と鷲神社とに引き分けられるまでは,長国寺の境内に鷲神社があったので,一体と見ていい。で,ウキペディアでは,
実際の祭りは,花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれる。鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み,社家は鶏卵さえ食べない。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放ったのである。このように鶏を神とも祀った社は,綾瀬川に面しているため水運による人,物の集合に好適であった。そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も次第に多くなり,そこでは社前で辻賭博が盛大に開帳されたが安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微する。
かわって,酉の市の盛況ぶりは浅草長国寺に安置された鷲ノ巣の妙見菩薩へと移り,最も賑わう酉の市として現在に至るのである。また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であった。時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり,今では関東の多くの寺社で開催されるようになった。
このように酉の市とは,秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い,招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのである。
と解説する。
思えば,どんな商売人には,自分でコントロールできることとできないことがある。その意味で,誰しも今年いいからと言って,来年もそれが続くとは限らない。その不安は,いまも昔も変わらないらしい。
内的要因と外的要因があるとすると,内的要因,つまり自分で何とかできることは,自分の努力と才覚で何とかすればいい。しかしそれだけでは何ともならないことを,神頼みする。
こういうものは,習慣と言えば習慣で,そういうことをしない商売人は一杯いる。しかし,商売人は,総じて信心深い。多分神棚のない商売人はいない。社のないビルはあっても,神棚のない商店はない,と思う。知人の古い商家は,神棚(には神明さん,天照大神)以外に,池に弁天さん,庭にお稲荷さん…と,祀っている。
自分の努力だけではどうにもならないことがあることを知っているからだ。その謙虚さは,商売人にとって絶対必要なマインドだと思う。
考えれば,初詣も荒神さんも,母から受け継いだものだ。学生のころも,独身のころも,一切したことがない。しかしやり始めると,習慣になる。
若い頃は,自分の力ではどうにもならないことだと,諦める根性が嫌いだったのかもしれない。しかし,別に多くの人は,だからと言って神を恨んだりはしない。むしろコントロールできないことが平穏無事であったことの感謝しているのだといっていい。それは,おのれを知る謙虚さにつながるのかもしれない。
幾つになっても謙虚さとは縁遠かった自分も,自分の力の限界を知ると,いやでも丸くならざるを得ない。
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