2013年12月12日

通説




小和田哲男『黒田官兵衛』を読む。

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11386475.html

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11327874.html

に続いて,泥鰌本の三冊目。

正直これが歴史学者の本か,と思うほど,通説べったり,失礼ながら,ほとんど,突っ込んだ研究を(いまは)していないということを,証するような著作だ。

はじめに,でこうある。

「黒田官兵衛の魅力は何か,一言で説明してほしい」といわれれば,私は,「戦国自体の最も軍師らしい軍師」と答える。

軍師が存在していないことは,日本史家の基本的な考えだ(とはお考えになっていないらしい)。講談や小説ならいざ知らず,到底ありえない。しかも,本書中に,どこも,軍師の定義もない。

さらに,こう言うのである。

さらにそれに一言加えれば,「トップに馴れる力をもちながら,補佐役に徹したその生き方」と答えることにしている。

何をどう考えようと,所詮歴史も物語だから,その人の自由だが,

秀吉の帷幄に官兵衛がいなければ,秀吉がはたして天下を取ることができたか疑問である。仮に天下が取れたとしても,織田信長時代の凄惨な戦いが繰り返され,もっと多くの血が流されたものと思われる。

歴史に,たら,れば,はない。この説は,仮説,つまり官兵衛=軍師に依拠してしか言えない。しかし,それなら,なぜ,無謀な文禄の役を止められなかったのか,という茶々はいれずにおこう。歴史が示しているのは,秀吉がいなければ,官兵衛はおらず,官兵衛がいなくても,秀吉は天下を取った,ということだ。

こういう著者の論法は,随所にみられる。

たとえば,信長と謁見した時のことについて,

このときの越権の模様は『信長公記』にも記されておらず,『黒田家譜』にしか出てこないので,以下,同書によりながら,

と書き進める。『黒田家譜』の記述については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11327874.html

でも触れたように,かなり慎重を要するのに,第一次史料である『信長公記』をさておいて,話を展開している。『信長公記』に記述がなければ,疑わなければならないのに,である。

あるいは,こういうのもある。

『武功夜話』については,「偽書だ」といって頭から否定する人もいるが,秀吉の家臣だった前野将右衛門長康の子孫が,家に伝わる古記録などをもとに,幕末になって著わしたもので,部分によっては信用できる箇所もあり,…,

といいつつ,検証抜き(信用できる箇所だという証明がないまま)に使っている。大体『武功夜話』の本体自体が公表されていない古記録を,疑ってかかるのが当たり前だ。しかも,幕末とは,300年もたってから書かれたものなのだ。疑うのが常識ではないか。

なのに,『武功夜話』によると,として,他の史料を示さず,『武功夜話』だけで,官兵衛の活躍を追うところが随所にある。さらには,『黒田家譜』の記述(官兵衛の功績を示そうとするのが当たり前)に,『本能寺の変を聞いて,呆然とする秀吉に,

さても此世中ハ畢竟貴公天下の権柄を取給ふべきとこそ存じ候へ,

と励ました記述を,『川角太閤記』(これも第一次史料ではない)まで持ち出して,

呆然自失の状態から,官兵衛の一言で秀吉が我に返ったのは確かである。官兵衛がそばにいなければ,秀吉の対応が遅れた可能性があり,

と,見てきたような嘘を受け合う。講談師か?とつっこみを入れたくなる。

だから敗北した小牧・長久手の戦いについても,

その場に官兵衛がいたら,反対し,この作戦は実行されなかったと思われる。

ここまで言い切られると,呆れるより,そういう本なのだと思うしかない。しかし,最後に著者の入れた,官兵衛の遺訓は,創ろうとした官兵衛像を見事に裏切っている。

1.神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下百姓の罰おそるべし。其故は,神の罰は祈りもまぬかるべし。主君の罰は詫言して謝すべし。只臣下百姓にうとまれては,必国家を失ふ故,云々

2.大将たる人は,威といふものなくしては万人の押へ成りがたし。去りながら悪しく心得て,態と我身に威を拵てつけんとするは,却って大なる害となるものなり。其故は,只諸人におぢらるる様に身を持なすを威と心得,家老と逢いても威高く事もなく目をいからし,詞をあらくし,人諌めを聞き入れず,我に非有る時もかさ押しに言いまぎらし,我意を振舞によって,家老も諌を言ず,おのづから身を引様に成行くものなり。家老さえ如斯なれば,まして諸士末々に至迄,只おぢおそれたる迄にて,忠義のおもひなす者なく,我身構をのみにして奉公を実によく勤る事なし。かく高慢に人をないがしろにする故,臣下万民うとみて必家を失ひ,国亡ぶるものなれば,能々心得可き事なり。云々,

まさに,後年の黒田騒動を予見したような遺訓だが,ここにはただ,二代目の我が子(長政)に藩を守るように言い聞かせている,功に成り遂げた父親の心配するイメージしかない。

秀吉の,子ども(秀頼)のことを,涙を流して頼んでいたイメージと重なるだけだ。そして,この託しているもののスケールの差は,そのまま,秀吉と,官兵衛の差といっていい。


参考文献;
小和田哲男『黒田官兵衛』(平凡社新書)
渡邊大門『黒田官兵衛』(講談社現代新書)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#小和田哲男
#黒田官兵衛
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#豊臣秀吉
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#小牧・長久手の戦い


posted by Toshi at 06:07| Comment(9) | 日本史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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