2013年12月15日
視点
若い方の展覧会を拝見する機会があった。
http://gallery-st.net/takeyama/index.html
好対照で,一人ずつの話を伺うと,
具象と,何かを象徴的にズームアップすることとの両極を試している,
というのと,
身体の体感覚(ざわつきや感触,触覚)を音として感じ,それを色として表現する,
こころの状態を色として表現している,
という両者は,一見まったく別のようだが,
視点,
としてとらえると,実は共通する。
視点とは,物理的にか,想像的にか,見る(立ち)位置を示す。それは意識的でなければ,自分で操作できないが,その位置によって,見るモノの見え方が変わる。その意味では,見え方を左右するといっていい。
視点の変え方には,次の4種類がある,と僕は思う。
●位置(立場)を変える
立場を変える,他人の視点・子供の視点・外国人の視点・過去からの視点・未来からの視点になってみる,機能を変える,一体になる・分離する,目のつけどころを変える,情報を変える等々
●見かけ(外観)を変える
形・大きさ・構造・性質を変える,状態・あり方を変える,動きを変える,順序・配置を変える,仕組みを変える,関係・リンクを変える,似たものに変える,現れ方・消え方を変える等々
●意味(価値)を変える
まとめる(一般化する),具体化する,言い替える,対比する別,価値を逆転する,区切りを変える,連想する,喩える,感情を変える等々
●条件(状況)を変える
理由・目的を変える,目標・主題を変える,対象を変える,主体を変える,場所を変える,時(代)を変える,手順を変える,水準を変える,前提を変える,未来から見る,過去から見る等々
ところで,音を色として描くという方の話に,
視点をずっと近づけて,ミクロまで行けば,量子の世界になる,
というのがあったが,それは,視覚の捉える形が崩れていくということだ。形が崩れると,単なるドットの集まりになる。それを少し遠ざければ,色ということになる。
しかし,花を見ていて,少し引くと,花畑になり,更に引くと,色になる,というのと同じで,視点をどこに置くかで,アップにもなるし,ロングにもなる。その時カタチに焦点が当たるか,色の差に焦点が当たるか,おのずと変わる。
逆に,ものを全体としてとらえず,部分,鼻や唇だけを図として際立たせ,背景を地として,消してしまうと,それはカタチは残るが,何かの象徴のように見えてくる。それは,部分だけをズームアップし,カタチが意味を変えると言ったらいいのか。
色に着目するか,カタチに着目するかの差はあるが,視点を操作することで,対象へのアプローチを変えようとする,描き方の模索といっていい。
ただ,色だけがテーマになることもないし,ズームアップした部分だけがテーマになることはない,
ような気がする(もちろん素人の感想にすぎないが)。
僕には,その操作は,本当に描きたい何かを見つけていくプロセスに見える。
なぜなら,僭越ながら,視点はモノを見る見方に過ぎない。視点を変えるとは,物理的に近づくことがアップになり,ひっくり返すことが,逆さまに見ることになる。裏返すことが,裏から見ることになる。物理的な近接遠近を,頭の中のイマジネーションで,描き出すことができる。
しかしそれはモノとのアプローチ差にすぎない。そこはまだモチーフに過ぎない。描こうとする絵の素材に過ぎない。そのアプローチ差を素材にして,何を描こうとするのか,テーマが明確化して初めてスタートラインに立つ。
どんな象徴するものが面白くても,それはただの実験でしかない。
どんなに色のちりばめ方が面白くても,まだ実験でしかない。
僕には,そのモチーフを生かす,舞台,つまりテーマがまだ見えていないように見える。
テーマというと大袈裟だが,その中に自分が実現したい(顕在化したいというべきか)世界,あるいは人,あるいはモノ,情景等々かもしれない。うまく言えないが,その表現の手段として,ピタリと今のモチーフがはまる世界というべきか,それは振り返ってはたと思い至るようなことかもしれない。
これを実現するためにやっていたんだ,
と。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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#テーマ
#イマジネーション
#舞台
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