2013年12月16日

懐に入る



先日,インタラクティブ・トレーニング「コーチは軽やかに対応する」(ファシリテーター:川本恵 国際コーチ連盟 マスター認定コーチ)に参加してきた。

案内には,

あなたは相手とのコーチングで,状況に応じて軽やかに対応していますか?
それとも相手が誰であっても,同じパターンばかりをとる傾向にありますか?

とあり,ICFのコア・コンピテンシーにある「コーチとしてのプレゼンスがある」の項目の,

コーチング・セッションの間,一瞬一瞬を軽やかに対応しつつ,存在感があり柔軟である,

コーチング・スタイルを用いることで, 充分に自覚を持ってクライアントと自発的な関係を作ることを目指します,

ということに,まあ惹かれた。

いつものことながら,

①人はそれぞれ全くちがう思考を持っている
②コーチは相手が「自分で考える」環境を提供するだけである
③相手から学ぶ姿勢でいる

を前提に,どうすれば,軽やかにコーチングができるかを,考える機会をもらった。

僕の中では,

Dance in this moment

というのが,ひとつの目標ではあったし,だから今回参加する動機でもあったが,今回,一日ずっとセッションをやったり,リレーセッションをやったりしていくうちに,もちろん訓練不足という面もあるにはあるが,まだ到底そのレベルに達していないということを思い知らされると同時に,口で言っているほど,僕は,軽さには惹かれていないのではないか,ということを少し考えさせられる場になった。

惹かれていない,というよりも,自分のひととの距離の取り方,あるいは人へのスタンスが,どうもそこにはないらしい,ということを感じさせられた。

もちろん,さくさくと,流れるように,リズミカルにコーチングが進んでいくのは気持ちがいいのは事実だし,テーマによっては,そういう処理の仕方ができることもある。しかし,どうも自分が,コーチ-クライアント関係で,コーチとして関わる時,そういう距離の取り方はできないらしい,というか,そういう立ち位置は取りにくいらしい,ということに気づいた。

ある意味ニュートラルな関係を保っていくことをしてこなかった,というか,そういう立ち位置を取る生き方をしてこなかった,ということなのだ。

コーチとしてのあり方が,おのれの生き方を反映しているのだとすれば,そういう姿勢の方が,おのれらしい,という感じがしたのだ。一種開き直りなのかもしれないが,ダメ出しではなく,OK出しをするなら,そう考えてもいいのではないか,と思い至った。

というと,コーチが勝手読みで,思い入れたっぷりに,踏み込むというと,主役がクライアントではなくなるようなイメージなのだか,僕の気づいたのは,(あえてプラスで取り出すなら)うまくできたか出来なかったかは別として,そこでしようとしていたのは,

コーチは,絶対的にクライアントを全面受容する
コーチは,絶対的にプラス面しか写さない鏡になる,
コーチは,絶対的にクライアントができると信ずる,
コーチは,絶対的の出来ている部分だけを図としてクローズアップする,

ということらしいのである。コーチングはクライアントの味方である,というとありふれた当たり前になってしまう。しかし,それも度を越すと,ひとつのスタイルなのではないか。

もう少し踏み込むと,間合いをはず手法に,『五輪書』に,秋猴の身とか漆膠の身というのがある。

構えと同時に,相手が打つ前に相手の懐に入り込む,

あるいは,

相手に密着してはなれない,

というのである。表現は悪いが,

相手の土俵に乗るだけではなく,その懐近くに踏み込む,

という手法である。しかし,それには,相当の勇気がいる。骨を切らせて肉を切るという言い方があるが,そんな生易しいものではない。いきなり,相手のうちに飛び込むようなものである。身を危険にさらすという,相当の覚悟がいる。勇気がいる。もちろん,剣の立ち合いではないので,相手を立てるために,相手を支えるために,そこに立つのではあるが。

その上で,絶対的に,

できない部分ではなく,できている部分のみを拾い上げる,
マイナス感情ではなく,プラス感情のみをピックアップする,
出来ないことではなく,できるために必要なことのみに焦点を当てる,
ないことではなく,あることを結晶化させる,

という徹底した肩入れをする。これは,ひょっとすると,軽やかさとは真逆の,暑苦しさかもしれない。しかしである,その方が,僕の性に合っているらしいのである。

逆に言うと,ニュートラルではありえない,冷静な口調でもあり得ないかもしれない,静かなコーチングでもありえない。暑苦しく,騒々しいコーチング,言い方は悪いが,執拗に,食い下がるコーチングになる。

むろん,そこでは,クライアントが,

何を大切にしているのか,
何に価値を置いているのか,
何に喜びを感じているのか,

を見逃さずに,引き出し,言語化して確認していくことが欠かせないように思う。それを外してしまうと,ただのおせっかいに過ぎなくなる。

軽やかさとはちょっと無縁になりそうなのだが,そこで必要なのは,常に,先入観を捨てて,身軽に,踏み込むことなのだろうと思う。

しかしそう考えると,まだ,踏み込みが足りない。中途半端で,なんとなく,土俵の淵から,暑苦しい熱意だけが目に触る,という感じなのではないか。

ユーモアでもあればまだしも,ダジャレでもいいのだが,それがないと,一層押しつけがましさだけが目立つ。

まあ,言ってしまえば,全然踏み込みが足りない。確かに踏み込むには,結構勇気がいるが,それがないままの熱意は,暑苦しいだけである。まだまだ覚悟の不足している所以のように見える。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | トレーニング | 更新情報をチェックする
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