2013年12月17日

言語化



言葉にする,というのは,言語のスピードの20~30倍の意識の流れから,言語に置き換えて,ことばとして発声する。その時,耳は,自分の声を,改めで,情報として聞くという。

オートクラインが起きるのは,このせいだが,言語化することができるようになったということは,

もの(こと)を,俯瞰する,

視点を手に入れたということだ。だから,ユンギアンは,言葉を覚えたときから,われわれは,空を飛ぶ夢を見るようになる,という。

たしかに,僕自身も,言葉の習得と直接関係があるかどうかは別に,ある時期,空中を平泳ぎしている夢をよく見た。大きな幹の木々の間を,ぬって泳いでいたのを良く覚えている。

しかし,それは,逆に言うと,ものごとを丸め(られ)るようになった,ということでもある。

言葉レベルで発想していると,時に堂々巡りになる。それは,抽象度の高いレベルで,思考が空回りしているという状態のように思える。

前にも書いたが,一般に,人の記憶に,

・意味記憶(知っている Knowには,Knowing ThatとKnowing Howがある)
・エピソード記憶(覚えている rememberは,いつ,どこでが記憶された個人的経験)
・手続き記憶(できる skillは,認知的なもの,感覚・運動的なもの,生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)

がある,とされている。もちろん,この他,記憶には感覚記憶,無意識的記憶,短期記憶,ワーキングメモリー等々があるが,このなかでもその人の独自性を示すのは,エピソード記憶であると思う。これは自伝的記憶と重なるが,その人の生きてきた軌跡そのものである。

意味レベルでは,誰が言っても同じだか,その言っている言葉の背後にある景色は,人によって違う。

かつて,メールで,何気なく,「思惑」という言葉を使ったら,相手が激怒したことがある。別に悪意や他意があって使ったのではないが,彼には,他意あるかのごとく受け取るエピソード記憶が,「思惑」という言葉に絡みついていたのだ。

人は持っている言葉によって,見える世界が違う,

とヴィトゲンシュタインが言ったのだが,ただ言葉の違いだけではなく,その言葉に張り付いている,自伝的記憶が違うのだといっていい。

たしかに,

パワハラ,

という言葉を知らなければ,上司が部下を叱責しているのは,ただ注意されているのか,注意されているのか,指導されているのか,という程度だが,パワーハラスメントという言葉を知ってしまうと,同じ光景が,別のニュアンス,あるいは,全く違う光景として認識される。

確かにそうには違いないが,同じパワハラでも,人によって,その色合いが違う。その違いを,言語にできなければ,コミュニケーションは,意味レベルだけで,空中ブランコをしているだけで,深まることはない。

大事なのは,二つのように思う。

ひとつは,リアリティと紐つけをすること。

同じものを見ていても,同じように見えているとは限らない。その見え方に,その人のオリジナリティがある,と僕は思っている。とすると,より具体化することだ。

ただ,具体性,といっても,それぞれ自分にとっての当たり前レベルをもっている。しかしそのことに自覚的ではない。

たとえば,「上から」といったときの,上は,

二階からなのか,木の上からなのか,屋上からなのか,高層ビルの上からなのか,その当たり前は,意識的に動かすことができるはずである。たとえば,東京タワーの上から,飛行機の上から,人工衛星の上から,月から等々。

それは,人によって,具体性のレベルが違うからだ。しかし,人は意識すれば,具体性のレベルを変えていける。

そのためには,最低限,

・具体例を挙げる~具体性のレベルを変える
・強制,あるいは見たいように見ることを押さえない~見えているものを見る
・5W1H,あるいはストーリーを描く~できるかぎりピンポイントにする

因みに,具体的かどうかの原則は,次の3点。つまりそれが,

・他にないたったひとつの「もの」や「こと」であるかどうか,
・心の中に,気持ちや感情を動かすイメージが浮ぶかどうか,
・特定の何かをそこから連想させる力があるかどうか,

というとこを意識する,こちら側の努力はいる。

だか,しかし,だ。そこで問題になるのは,言語の少なさなのだ。語彙の足りなさ,言いたいことを表現する言葉が足らないのだ。自分にしかみえないものを言語化する,手段が不足しているのだ。

例えばだ,クオリアレベルで,見えている色に微妙な差がある,とすれば,それが言語に置き換えられなくてはならない。しかし,色を表現する,日本語の,独特の言葉が,いまや,死語になりつつある。

たとえば,

浅黄色
萌黄色
銀鼠色

等々,そういう言葉を片方が持っていても,相手にそれが理解できなければ,他の言葉で言い換えるしかない。

昔色見本を見ながら,印刷の色指定をしていた,まだそういう色見本帳には,そういう色の名が生きているに違いないと思うのだが…!

だから,第二は,語彙を増やすことだ。そのために,ひとつの言葉を,言い換える努力をしてみることだと思う。そして,そのことは,情報の読みと深くつながっていく,と僕は信じている。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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#オートクライン
#ヴィトゲンシュタイン
#語彙




posted by Toshi at 06:38| Comment(0) | 表現 | 更新情報をチェックする
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