2013年12月22日
沈黙
かつて,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2013-0325.html
で,
黙っていても
考えているのだ
俺が物言わぬからといって
壁と間違えるな(壺井繁治)
という詩を紹介したことがある。ここで言っているのは,沈黙は,何も考えていないということではないという,沈黙の非言語表現のことだったが,たしかに,言葉になるのは,
思いの20~30分の一だか,ほとんどは,言葉にならないか,言葉で,丸められている。
まあ,
言われたことばより
言われなかった思いの方が重い
語られたことより,
語られなかったことの方が深い
には違いないが,ヴィトゲンシュタインではないが,
およそ言いうることは言い得,語りえないことについては沈黙しなければならない。
ということもある。つまり,
語りえないのである。
語る手立てがないのか,
語る言葉がないのか,
語るには掬えないほど重いのか,
語るにはまだ意識に上ってこないものがあるのか,
言ってみて,口に出してみて,初めて,それは違う,という自分の言いたいことと言わなければならない思いとが,微妙な齟齬を持っているのに気づくことがある。
私の言語の限界が私の世界の限界を意味する,
とヴィトゲンシュタインは言う。その意味では,言葉にできないということは,それが,私に見える世界の視界を限るものなのだ。でも,ヴィトゲンシュタインは,
私の心の限界が私の世界の限界である。
という。ということは,言語化されることで,私の世界は広がる,とも言える。言語より,心は広い,意識より,無意識は遥かに広い。
沈黙は,確かに重い,
しかし黙っていては,いないも同じだ,と僕は思う。
黙るということは,アクティブではなく,受け身な行為にしか見えない。仮に,抗議の沈黙でも,黙っている限り,事態は動かない。動かすためには,言葉にしなくてはならない。
言葉にすることは,口に出すにしろ,書くにしろ,手振りをするにしろ,物理的に波風を立てることだ。バタフライ効果ではないが,この世は複雑系だ。単純に因果だけでは動かない。
その意味で,黙るということが罪であることに変わりはない。
ひとつは,自分の想いに対して,
ひとつは,自分の存在に対して,
ひとつは,この世界に対して,
ひとつは,この世界の同時代の人に対して,
ひとつは,この世界の次世代の人に対して,
黙ること自体で,不作為の罪,「為さざることの罪」になる。
ふと思い出したのは,メラビアンの法則である。
これは,矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について,他人にどのように影響を及ぼすかを判断する,あの(有名な)アルバート・メラビアンが行った実験結果である。
これは,好意・反感など,態度や感情のコミュニケーションにおいて,感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたとき,人の行動が相手にどのように影響を及ぼすかというものだが,それは,
話の内容などの言語情報が7%,
口調や話の早さなどの聴覚情報が38%,
見た目などの視覚情報が55%
の割合であった,というのである。まさに,言葉にならないことのほうが,はるかに影響が大きいが,それは,言わずとも,振る舞いに現れている,ということだ。
なら,口に出そう。どうせ伝わっているのだ。そこで黙っているのは,相手に勝手解釈を許すことになる。それをも,許したことになる。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#メラビアンの法則
#沈黙
#黙認
この記事へのコメント
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