チャレンジ



チャレンジというのは,ニュアンスとしてアグレッシブという意味合いがある。挑戦というのは,戦いに挑むので,当然そうなる。

ただそこには,戦いそのものが,他人とであれ,自分とであれ,状況とであれ,結果として,蛻変とか変身とか変化とか変態とか変容とか変貌というものが付きまとう。というか,そういうのがあるから,チャレンジする。

チャレンジは,

●自分自身を,ひとつも二つも上の(理想ないし目指す)レベルへと飛躍させようとする,

●自分の目の前の懸崖やハードルを飛び越えようとする,

●目の前の壁や抵抗を突き破る,

●いまの自分を乗り越える,

●いまいるところよりも,より高みへ,もっと高みへと挑む,

●自分の閾値,世間の常識や限界を突破していく,

●自分の殻や膜を破る,

●いままでとは違うこと,いつもとは違うことをしようとする,

●いまの自分を維持したり,持続しようとする圧力に逆らう,

●体制や権力にあえて異を唱え,立ち向かう,

●権威や正統に刃向う,

●前へ前へと進み続けようとする,

●したいことを探してやり続ける,

●いままでの伝統や記録や姿勢を突破する,

●新しいステージや舞台を創り出す,

●何かに挑むこと自体にこだわり続ける,

等々,自分に対してか,他人に対してか,状況や現状に対する,Noを突きつけ続ける姿勢といっていい。しかし,多くは,自分自身が足枷であったり,桎梏であったりする。それを断ち切ることが一番のチャレンジかもしれない。

チャレンジそのものが目的ということもなくはないが,多く,

それは,現状維持の否定である。

それは,いまのままの否定である。

それは,権威の否定である。

それは,既得権の否定である。

それは,守勢の否定である。

それは,墨守の否定である。

そして,

それは,限界の否定である。

つまり,チャレンジは,何かを目指すための手段に過ぎない。それがどれだけエネルギーを擁することであれ,それが得られなければ,意味はない。

その多くは,変化といっていい。

蛻変,

脱皮,

を経て,変身,変容,変貌,変態等々。

自分が変わるにしろ,

状況が変わるにしろ,

そこに新しいステージが拓ける。

僕のイメージは,ストップモーションのように,自分が少しずつ,いまの自分からずれて,変化していき,やがて,気づくと,蛇や甲殻類の変態のように,自分が変わっている,そういう変化のプロセスそのものが面白いと思っている。

それは,自分が微妙に変化していく感触というか肌触りが面白いのかもしれない。あるいは,徐々に移っていく自分の変化の流れが,味わいたいのかもしれない。

しかし,多くは,気づくと,すでに,目の前に,別の景色が見えている,ということの方が多い。

変化のプロセスは,僕の場合,一瞬だったり,目覚めたら,気づいたら,既に起きている,ものらしい。

だから,そのプロセスなのだと思っている。

さて,残り少ない人生,怠け者で,あまり大袈裟なことは言いたがらない性分の僕の場合は,ひそかに,ただ黙って,ちょっと挑み続けるというのがいい。

挑むのはおのれの才能という,巨大な壁である, こいつだけは努力や精進だけでは超えられない,生得というか,遺伝子レベルで決まっているというか,そういうものに,しかし終生挑む,というのが,いまの自分の残された課題である。勝ち目は薄い,しかし薄いから,やってみない手はない。勝てる戦ならやらなくてもわかる,しかし勝てない戦いであるからこそ,やらなくてはわからない。

そして,わずかながら,微動する気配のある,そのプロセスを楽しむ,という心意気でいい。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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