2014年01月04日
思い込み
思い込みとは,おのれの信じたことを堅く思い決めることという。それは,視野狭窄と変わらない。あるいは,その思いからしか世界が見えないことを言う。そこでは,議論の余地はない。なぜなら,そもそも議論で意見が変わるなら,思い込みとは言わない。
思い込みを別の言い方をすると,固定観念という。
固定観念は,機能的固着,とも言う。つまり,その余の脳の部位とのリンクができない状態である。それを崩すには,(もちろん本人が崩す気があればの話だが),
ひとつは,言語レベルから現実レベルに降りる,
あるいは,
より高みの目的から手段を洗い直す,
の二つがある。しかし,いずれの場合も,現実といって,自分の見える現実しか見ようとしない場合,「現実」いう同じ言葉を使っていても,同じ現実を見ていない。
コントロールできていないものが,
完全にコントロールできていると言い切れるような場合,
たぶん,現場に行っても,現物を見せても,現実を突き付けても,コントロールできているものしか目に入らないだろう。
この絶望感,この閉塞感をどうしたらいいのか。
さて,ここ連日ある新聞社が,河野談話について,いろいろ騒ぎ立てている。ツイッターでも,「意向」を「指示」に変えたということを,ことさら騒ぎ出している人間がいた。で,
何を騒いでいるやら,言葉レベルで言っていても現実は見えない,軍が意向といったら,指示と同じだ。それが現実だ,
云々といった書き込みしたら,
現実とはそうではない,云々として,切られてしまった(らしい)。
しかし,日本の上位者は,多く,明確に意思を指示しない。下は,その意向をくみ取って,それを下へ指示する。だから,トップは多く責任を免れる。そういう言葉のレベルの現実的問題がある。
言葉レベルでいくら現実を見ようとしても,現実は丸められている。丸められたレベルのことを問題にしたら,誰が大戦の意思決定をしたのか,はわからなくなる。そういう無責任体制というか,文言で明晰にするような仕組みにはなっていなかったし,なっていない。だから,証拠はない,文書として残るはずもないし,残すはずもない。
それが現実なのだ,ということを言いたかったのだが,要は,談話を潰したい向きにとっては,そんなことはどうでもいいのだ。
しかし,一国が世界に向けた談話を,ころころ変えるような国や人民を信用するだろうか。
綸言汗の如し,
それ自体は,すでに国是なのだ。その覚悟がないから,一事が万事,簡単に,降伏文書と講和条約に基づく戦後体制を否定し,アンシャン・ジームに復帰したがる。憲法を欽定憲法に戻し,教育勅語を復活させ,治安維持法もどきを制定し,一体どういう国家にしたいのか。今上天皇も,誕生日に明確に述べられていたように,まったく望んでいないのに。
少なくとも,戦後こそが,本当に世界に伍していく国力を蓄えたのであって,戦前の比ではない。しかし,彼らは,どうも復古することで,人民というか,国民をおのれのコントロール下に起きたいらしいのだ。それは,そのまま家父長制イデオロギーの復活であり,男尊女卑の復活であり,結局そういうことを考えている人たちは,自由で平等で多様な世界に耐えられず,それが不埒な世界にしか見えないのだろう。だから,心の中まで,踏み込んでひとつのイデオロギーでコントロールしたがる。
というより,人は,右向け右でないと,コントロールできないと思っているのかもしれない。そんな均一社会のもろさは敗戦で証明されたではないか。第一,いまどきそんなリーダーシップもマネジメントも,世界中で通用するのは,北朝鮮だけだ。そういう中で,頂点に立っていないと,不安でしょうがないのだろう。まるで金正恩のようだ。
哀れで,みじめで貧相な,人品骨柄の賤しい人たちに見える。
自由なくして,世界に伍す発想も発明も生まれない。
平等なくして,闊達な議論は生まれない。
侃侃諤諤の議論なくして創造性は育まれない。
創造性なくして,未来を切り開く力は生じない。
このマインドは,五箇条の御誓文そのものだ。藩閥政府によって踏みにじられた,五箇条の御誓文の趣旨が,80年を経て,戦後,いろいろ問題はあっても,曲りなりに,やっと実現し(かけ)たに等しい。
広く会議を興おこし,万機公論に決すべし
上下心を一にして,盛に経綸を行ふべし
官武一途庶民に至たる迄まで,各の其の志を遂げ,人心をして倦まざらしめん事を要す
旧来の陋習を破り,天地の公道に基づくべし
知識を世界に求め,大に皇基を振起すべし
これを起草した,由利公正,三岡八郎は横井小楠の強い影響下にあった。小楠のもとでの殖産興業政策で窮乏した福井藩財政を再建した。そう,だから,この御誓文には,小楠の『国是七条』や『国是十二条』が反映している。これは,坂本龍馬の「船中八策」にも色濃く反映している。そのせいか,龍馬に二人の甥を託した折の,壮行の詩にふつふつとみなぎる,
堯舜孔子の道を明らかにし,
西洋器械の術を尽くさば,
なんぞ富国に止まらん,
なんぞ強兵に止まらん,
大義を四海に布かんのみ,
といった気概と希望が満ち満ちている。
そう,考えようによっては,80年を経て,自力でできなかった,五箇条の御誓文の世界が戦後体制で初めて実現でき(そうに見え)たのだ。
それが気にいらないのは,侮民政策というか,愚民政策をとろうとする藩閥政府と同じ発想なのかもしれない。安倍氏は,長州なのだから。そして,聞くところでは,そもそも靖国神社は,幕末維新で亡くなった長州の奇兵隊を祀る招魂社から始まったというし…。
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