2014年01月13日
衝突
人と衝突するということは,そうはない。いさかいというのなら,結構ある。しかし,衝突と呼べるものは,数えるほどしかない。
しかし衝突するというのは,どういうことか。
普通は,利害の対立か,考え方の対立か,価値観の対立か,いずれにしても,両者は,なにがしかについて,共通の対立項を持っていて,そこでぶつかる,ように感じる。
しかし,僕の場合は,少し違う。
一番古くは,初めて,父親に対して,真正面から,母を庇って,怒声を上げた時だろう。このとき,何に怒っていたのかはわからないが,たぶん,母親の立場から,父親に怒りを向けたのかもしれない。
しかし,子どもは母親の立場にはなれない。夫婦の土俵に,違うところから鉄砲玉が飛んできたので,父親はびっくりしたに違いない。
多く,衝突というとき,こういう微妙な土俵の違い,はっきり言うと,すれ違いを感じさせることが多い。本来衝突しないところで,僕の側が,まるで対等の立場のように,相手に向き合う。親子だから,まあ許される越権も,社会的には,結構やばいことになる。
それ以降の生き方そのものを変えるような対立は,会社のトップとの激突だ。
それまでに,一年間,執行部にいた時,団体交渉で労働組合と経営者ということで,いろんな面で,対立したし,激しくやり取りしたこともあるが,そこでは,労使交渉というテーブル上でのことで,それぞれが役割を背負っていて,その立場は異なっても,そのテーブルでは,対等であった。
しかし,その後の,仕事上での対立は,少し事情が違う。
自分が進めていた仕事について,それ自体はゴーサインが出ているので問題ないが,細部というか,僕にとっては,本質を左右しない些事について,直接ではなく,間接に,茶々を入れられた。それがカチンと来ていたところで,直接のきっかけは,たいしたことではないが,やり取りが始まり,衆目の前で,激突した。
いわば,こちらは,部下なのだが,当該の仕事ということについては,対等と考えているから,一歩も引かない。相手は,トップという視点から,ものを言っているから,当然,こっちが引くものと決めてかかっている。
客観的にみれば,立場など関係なく,是非を言っている。どっちが正しいかということではなく,自分の是非を言ってはばからない。そのことが,直接には,逆鱗に触れた,ということになるのだろう。
しかし,何かについて語っている,それがテーマだとすると,立場は別にしても,それぞれの立場から,そのことを,外に置いて,それについて語りあっている。その場合,テーマに関する限り,
二者関係ではなく,
三者関係にある。
つまり,テーマを頂点において,僕とトップが三角形をこさえている感じである。それは,立場が違うときに,何かを論じる場合,不可欠な関係の取り方なのだ,と後年,記憶に間違いがなければ,神田橋條治さんの著作から学んだ。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06400.htm
でいう。相手を主題にしない,ということだ。つまり,
話し相手が部下や後輩だとして,どうしても部下のしたこと,部下の発言,部下の失敗,部下の報連相,部下の成果等々となると,「どうして君はそうしたの」と,上位者や先輩として,部下に話を聞く姿勢となる。それでは,どうしても部下側は,聞いてもらう立場であり,言い訳する立場になる。そういう会話のスタイルをしている限り,話をしにくいし,聞きにくい。そこで,部下の「したこと」,「発言」「報連相」「成果」そのものを,ちょうど提出された企画書を前にして,一緒に企画そのものを検討するように,部下と一緒に「したこと」,「発言」「報連相」「成果」をテーマ,上位者と下位者が一緒になって眺めている関係がほしい。二者関係から,そういう三角形の関係にすること。そうすることで,聞く側も,部下という属人性を 離して検討しやすくなる。また聞く側が,相手に巻き込まれて,同情したり,一体化したりするのを妨げるのにも有効になる。
とある通りだ。
僕はそう意識していたわけではないが,そのつもりだったと思う。そうすることで,それぞれは別の土俵にいながら,そのテーマ,案件について語るという意味で,共通の土俵に立つことになる。
しかし,相手はそうではなく,あくまで,
トップという立場から,
僕や僕の仕事の中身を主題にしたいらしいのだ。そうなれば,当然,トップは,トップの土俵の,是非判断に基づいて,僕や僕の仕事の可否を云々することになる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod064301.htm
で言う通り,主導権を譲る気はなかったということだ。そうなれば,噛み合うはずはない。
似たことは,その後もう一度,別の会社で,やはりトップとの間であったが,共通するのは,僕は,事の是非を論じる場合,上下関係を無視して,ただその案件だけについて,可否を云々するという傾向が強い。それは,相手がトップである場合,結構カチンとくる姿勢らしい。トップという立場を斟酌しないと受け止めるからだ。まあ,上が言ってるんだから,聞けよ,ということに過ぎない。しかし,案件自体の可否を論ずるということでは,対等でしかないし,そうでなければ,結論先にありきになる。
そういう考えは上から見る目線では,権威や権限に挑戦している,と映るらしい。
ただ,面白いことに,二度とも,人も,相手も違うが,直属の上司は,僕の言っていることを諒としていたことだ。しかし,トップがノーと言えば,ノーでしかない。この辺りは,不思議なことが起きる。
それにしても,衝突は,相手に起因するというより,僕の姿勢に起因する。
僕のコミュニケーションスタイルそのものなのかもしれない。是非はともかく,たぶん性格に因る。
いまでも,この基本的な立ち位置はあまり変わらない。しかし,もう少し,言葉,というか言い回しは,柔らかくなっているはずだが…!
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#衝突
#二者関係
#三者関係
#土俵
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