2014年01月14日
異議
清水昭三『西郷と横山安武』を読む。
著者は,あとがきで書く。
対朝鮮とのかかわりの中で,今なお正視すべきはあの国是の如きかつての「征韓論」である。またこれを行動として実現してしまった「韓国併合」とその消えぬ波紋のことである。けれども,こうした日本人としてまことに恥ずべき思想や行動を可とせず,抗議の諌死を遂げた人物が,たった一人存在していたのは,なんという救いであったろう。その人物こそ草莽の士で,西郷隆盛と生き方としては対照の関係にあった横山安武である。彼はわが国最初の内閣総理大臣伊藤博文の初代文相森有礼の兄でもあった。
横山安武は,唯一,日本人の良識である。彼こそ幕末維新を生きた真の知識人だったのである。
いまもなお,薩摩藩士,横山安武の抗議の建白書は,現代日本をも鋭く刺し突く槍である。いまなお,嫌韓,ヘイトの対象にして,言われなく他国を侮蔑する者への,無言の刃である。
読めばわかるが,建白書は,維新政府そのものへの痛烈な批判になっている。五箇条の御誓文に反する,政府の施策,政治家の生きざまへの,真摯な怒りである。これもまた,今に通ずる。150年たっても,未だに,維新はなっていない。
五箇条の御誓文はいう,
広く会議を興おこし,万機公論に決すべし
上下心を一にして,盛に経綸を行ふべし
官武一庶民に至る迄,各の其の志を遂げ,人心をして倦ざらしめん事を要す
旧来の陋習を破り,天地の公道に基づくべし
知識を世界に求め,大おおいに皇基を振起すべし
と。
これと比較しながら読めば,彼が何に絶望していたかが,見えてくる。
では安武はどんな建白書を書いたのか。明治3年である。
方今一新の期,四方着目の時,府藩の大綱に依遵し,各々新たに徳政を敷くべきに,あにはからんや旧幕の悪弊,暗に新政に遷り,昨日非とせしもの,今日却って是となるに至る。細かにその目を挙げて言わんに,第一,輔相の大任を始め,侈糜驕奢,上,朝廷を暗誘し,下,飢餓を察せざるなり。
第二に,大小官員ども,外には虚飾を張り,内には名利を事とする,少なからず。
第三に,朝礼夕替,万民古儀を抱き,方に迷う。畢竟牽強付会,心を着実に用いざる故なり。
第四,道中人馬賃銭を増し,かつ五分の一の献金等,すべて人情情実を察せず,人心の帰不帰に拘わらず,刻薄の処置なり。
第五,直を尊ばずして,能者を尊び,廉恥,上に立たざる故に,日に軽薄の風に向かう。
第六,官のために人を求るに非ずして,人のために官を求む。故に毎局,己が任に心を尽くさず,職事を陳取,仕事の様に心得るものり。
第七,酒食の交わり勝ちて,義理上の交わり薄し。
第八,外国人に対し,条約の立方軽率なるより,物議沸騰を生ずること多し。
第九,黜陟の大典立たず,多くは愛憎を以て進退す。春日某(潜庵のこと)の如き,廉直の者は,反って私恨を以て冤罪に陥る数度なり。これ岩倉(具視)や徳大寺(実則)の意中に出ずと聞く。
第十,上下交々利を征りて国危うし。今日在朝の君子,公平正大の実これありたく存じ奉り候。
そして,別紙を添える。ここに安武の満腔の思いがある。全文を載せる。
朝鮮征伐の議,草莽の間,盛んに主張する由,畢竟,皇国の委糜不振を慷慨するの余,斯く憤慨論を発すと見えたり,然れ共兵を起すに名あり,議り,殊に海外に対し,一度名義を失するに至っては,大勝利を得るとも天下萬世の誹謗を免るべからず,兵法に己を知り彼を知ると言ふことあり,今朝鮮の事は姑らく我国の情実を察するに諸民は飢渇困窮に迫り,政令は鎖細の枝葉のみにて根本は今に不定,何事も名目虚飾のみにて実効の立所甚だ薄く,一新とは口に称すれど,一新の徳化は毫も見えず,萬民汲々として隠に土崩の兆しあり,若し我国勢,充実盛大ならば区々の朝鮮豈能く非礼を我に加へんや慮此に出でず,只朝鮮を小国と見侮り,妄りに無名の師を興し,萬一蹉跌あらば,天下億兆何と言わん,蝦夷の開拓さへも土民の怨みを受くること多し。
且朝鮮近年屡々外国と接戦し,顧る兵事に慣るると聞く,然らば文禄の時勢とは同日の論にあらず,秀吉の威力を以てすら尚数年の力を費やす,今佐田某(白茅のこと)輩所言の如き,朝鮮を掌中に運さんとす,欺己,欺人,国事を以て戯とするは,此等の言を言ふなるべし,今日の急務は,先づ,綱紀を建て政令を一にし,信を天下に示し,万民を安堵せしむるにあり,姑く蕭墻以外の変を図るべし,豈朝鮮の罪を問ふ暇あらんや。
震災の復興,福島のコントロールがいまだしなのに,と考えると,そのまま今日に当てはまる。
信を天下に示し,万民を安堵せしむるにあり,姑く蕭墻以外の変を図るべし,豈朝鮮の罪を問ふ暇あらんや,
は,今のわれわれを突く刃である。
ふと思い出したが,マザー・テレサの講演を聞いて感動した日本の女子大生が,マザーに「私もインドに行き貧しい人の為に働きたい」と伝えたそうです。マザー・テレサの返事は,「日本にも貧しい人,苦しんでいる人はいます。目の前で苦しんでいる人を助けてあげてください」というエピソードが,胸に迫る。隗より始めよ,である。
明治5年,西郷隆盛は,安武の碑文を書いた。
朝廷の百官遊蕩驕奢して事を誤る者多し。時論囂囂たり。安武乃ち慨然として自ら奮って謂う。王家衰頽の機此に兆す。臣子為る者,千思万慮以て之を救わざるべからず。然して尋常諌疏百口之を陳ずと雖も,力矯正する能わざれば,則ち寸益無きのみ。一死以て之を諌めんに如かず,
しかし,淡々としたのこ文は,他人ごとに見える。西郷は当事者であったにもかかわらず,である。
その西郷隆盛自身が,翌年征韓論に敗れ,7年後城山で自害するのは,皮肉である。
それにしても,いつから,義を重んじなくなったのか。義を見てせざるが士なら,義を失ったものに,士という言を使うこと自体がおこがましい。横井小楠の理想はどこに消えたのか。
堯舜孔子の道を明らかにし,
西洋器械の術を尽くさば,
なんぞ富国に止まらん,
なんぞ強兵に止まらん,
大義を四海に布かんのみ,
といった気概と希望が満ち満ちている横井の夢を泥まみれにして,大義なき国に貶め,他国を塗炭の苦しみに陥れても,少しも惻隠の情すらなく,他国を侮って悔いなきものどもの国にしてしまい,またしつつある,この国に,
どんな,「天地の公道」があるのか。
どんな,振起すべき「皇基」があるのか。
今上天皇の心に,少なくとも,それがあることが,わずかな救いでしかないとは,情けなく,恥ずかしい。
参考文献;
清水昭三『西郷と横山安武』(彩流社)
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