2014年01月18日

主客



先日,「マインドフル・コーチング リスニング編」(ファシリテーター:福島規久夫コーチ)に参加してきた。

https://www.facebook.com/events/585652598172083/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming

マインドフル(mindful)は,意味的には,

(…を)心に留めて,忘れないで
(…であることに)注意して,(…であることを)忘れないで

となる。瞑想,坐禅由来らしいので,自分の内側に注意を向ける,と言ったところになるだろうか。

いただいたレジュメには,

マインドフルネスとは,意図的に今の瞬間に,価値や判断とは無縁に注意を払うこと。

マインドフルネスとは,自分の意識を今の現実に敏感に保つこと。

マインドフルネスとは,物事をあるがままに受け容れ,現在の瞬間に,価値判断を加えずに,注意を向けることによって現れる意識=気づきのこと。

といくつかの定義が紹介されている。

キーワードは,

いまここ,

あるがまま,

受け容れる,

ということだろう。受け入れる,というのは,ロジャーズの自己一致,

自由にかつ深く自分自身であり,現実に経験していることが,自分自身の気づきとして正確に表現されていなければならない,

を思い出す。つまり,自分の中に起きていることを正直に自覚し,

正確に自分自身であり,…セラピーのこの瞬間においてありのままの自分,

であること,ということに通じる。それは同時に,クライアントについても,

クライアントを自分とは別個の一人の人間として,自分自身の感情,自分自身の経験を持つことを許されている人間として好きになるということである,

という,いわゆる無条件の肯定的配慮につながる。

そして,いまここ,については,帰り道,ふいに,邯鄲の夢を思い出した。例えば,ネットの紹介は,こんなふうだ。

趙の時代,廬生という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ,趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士に出会い,延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると,みるみる出世し嫁も貰い,時には冤罪で投獄され,名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり,運よく処罰を免れたり,冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め,国王にも就き賢臣の誉れをほしいままに至る。子や孫にも恵まれ,幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず,多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると,実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり,寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮あがってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い,故郷へ帰って行った。

まさに一炊の夢である。いろんな解釈があるが,結局いま,ここの自分を省みず,遠くに見果てぬ何かを見て,いまとここを見落としていた,という言い方もできる。

しかし,もし盧生がクライアントだったとしたら,どう盧生その人を見守るのか。自分といまに不平不満の人に,何を気づいてもらえばいいのか。夢が実現した状態からアプローチするのか,それはどんな楽しいことなのか,と。あるいは夢を実現するための手段を,そのためのリソースをリストアップするのだろうか。

しかし,呂翁は,盧生の夢が実現した状態を,とことん味あわせた。ソリューション・フォーカスト・アプローチのミラクルクエスチョンのようだ。しかし,普通,それを味わって,その夢を捨てるという選択肢はない。そのためのミラクルクエスチョンではないからだ。

しかし呂翁は,ただその一生分の夢を味わわせることによって,盧生に気づきを与えた。呂翁は,一言も,盧生の夢も,盧生その人をも,批判していない。質問すらしていない。しかし,盧生は,気づき,納得し,自分の「いま」「ここ」へ帰っていった。

ここに,究極の,コーチングを含めた,(E・H・シャインの言う,援助関係に携わる)プロセス・コンサルテーションがある気がする。

いま,ここに集中するというのは,コーチングでいえば,いま目の前にいる,一瞬一瞬のクライアントの,

ありよう,

息遣い,

振舞い,

言動,

身振り手振り,

等々に,興味と関心を持って,いわゆる「好奇心」を持って注視することだ。それをレジュメでは,

マインドフルな状態,つまり,いまこの瞬間にしっかり気づけていて,あるがままなすがままに,起きていることに価値判断を加えずに注意を向けて見守っている状態でコーチをすること,

をマインドフルなコーチングであると。ともすると,コーアクティブでも,

レベル1(矢印が自分)
レベル2(矢印が相手)
レベル3(矢印が全体)

という言い方をしている。そのとき,あるがままの,相手自身に関心を向けている,というのは,言ってみると,レベル2の状態といっていい。

たとえば,そのとき,

エネルギーが高いですね,

嬉しそうですね,

言葉と振る舞いがぎくしゃくしているように見えますね,

という言い方をするだろう。

僕は,直感を無意識で連発するが,それは,

レベル2

のそれだ。つまり,youメッセージなのだ。無論,それもありだが,今回のワーク(レーズン・ワークショップや感じるワーク)を通して,主客の矢印を少し変えてみたほうがいい,という気がした。

つまり,相手が嬉しがっているのを見て,感じた自分の,

身体の,

心の,

感情の,

反応を意識し,それを返す,ということだ。たとえば,

あなたが喜ぶのを見ていて心の中に暖かいものを感じました,

あなたの言葉をうかがっていてすごく違和感を感じました,

あなたの振る舞いに,体の中で黒くわいてくる不快感を感じました,

等々。これは,フィードバック(のIメッセージ)とは微妙に違う。相手に見た,

振舞い,

言動,

テンポ,

エネルギー,

等々を,Iメッセージやyouメッセージで返すのではない。相手を見て,自分の中で起こった,

体感覚,

感情,

心の動き,

等々を返す。それは,レベル2の相手を客体として観察するのではない,相手との関係の中で,私の中で起きたことを,レベル1で認めて,感じて,返す。

このとき,僕は,微妙なことが起きていることに気づく。

レベル1→レベル2→レベル3

を言っているときは,コーチは,クライアントと対等にならなければならないから,そう自制する。しかし,自分の中に起きていることを返しているとき,そういう関係はない。むしろ,

相手に感応し,
共振れし,
共鳴し,
反発する,
揺さぶられる,

自分を見つめて,表現している。コーチ-クライアント関係は,その

照り返し,

リフレクションによって,リ・リフレクションが起き,それに反照して…,という関わりになる。

それが,つながる,のではなく,

つながっている

という感覚なのかもしれない。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 04:58| Comment(5) | コーチング | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
minnetonka 793
Posted by 保本型理??品 at 2014年02月03日 02:22
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