2014年01月19日
文脈
コンテクスト(Context)である。それこそ,その文脈により「脈絡」,「状況」,「前後関係」,「背景」などとも訳される。
コンテクストについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11239628.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11131407.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10996546.html
等々で直接間接に触れた。いわば,理解をしあう,コミュニケーションを取るときに,同じ土俵に立てるかどうかは,コンテンツレベルではなく,その文脈に依存する,ということだ。たとえば,
さようなら,
は,左様なるわけですからお別れします,をつづめたものだが,「左様なる」が共有できる関係性の中にいるから,
さようなら,
が,
じゃあね,
でも,
またね,
でも通じる。
しかし,僕の場合,とっさに浮かぶのは,ひとつは情報にかかわる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod05111.htm
にも書いたが,
情報には,コード情報と,モード情報がある。
コード情報は,言語化できる情報。モード情報は,文脈。一般化されにくい,そのとき,その場所で,その人が,といった文脈や状況に拘束された情報ということになる。
別の言い方をすると,コード情報は,認知系,モード情報は,情動系。だから,コード情報はデジタル,モード情報は,アナログということになる。
モード情報は,いわば,質感やニュアンス,手触り,におい,と言った,コード情報からはそぎ落とされる部分になる。しかし,コード化できる,あるいは言語化できるということは,俯瞰,あるいは一般化されるということで,それ自体のもつ,個別性,特別性,一回性が消える。
文脈と言ったとき,実は,もう一つ思い浮かぶのが,アイデアを考えるときの構造だ。
人が,モノやコトと向き合って,
まずはモノやコト自体についてアイデアを考える。
もうひとつは,モノやコトとのインターフェイスというか使い勝手を考える。多く改良型だ。
しかし,アイデアには,もう一つある。それが文脈だ。
この文脈にはいろんなニュアンスが含まれる。例えば,
使っているシチュエーション,
使っている場所,
使っている時間,
等々があるが,これだとインターフェイスのニュアンスが強くなる。ここで言いたいのは,例えば,傘というのを考える。傘には,洋傘と和傘で少し開かせ方に違いがあるようだが,発祥以来形はほとんど変わらない。
柄
骨
布
の三点セットは,折り畳み傘なっても,ビニール傘になっても変わらない。それは,
雨という状況で濡れないようにする,
雨の降らない時に邪魔にならないようにする,
等々の使い勝手の工夫から考えるからだ。しかし,
雨そのものがなくなるか,
雨に濡れなくする,
なら,傘はいらなくなる。例えば道路にすべて屋根をつけるとか,地下にするとか等々。ここでいう文脈とはそういう意味だ。そういう視点を持つと,発想の視点ががらりと変る。
それは,コンテンツレベルだけでなく,コンテクストを考えることで,発想が変わる,というのに近い。
コンテクストのすり合わせというのが,演劇において使われているらしい。
劇のあるシーンで,役者Aは自分の演じるキャラクターが,そのシーンで怒っているのだと思い,共演する役者Bは,役者Aの演じるキャラクターは,悲しんでいるものだと考えたとする。こんなギャップはあまりないが,このままでは,ふたりの演技は食い違う。それを事前に,一致させる作業を指すらしい。
コンテクストは,ことほど左様に,微妙なのだ。同じ脚本という文脈にいても,それぞれそこから汲み取るニュアンスが違う。
よく思うのだが,ロジカル・シンキングは,論理の筋道の整合性を取る。しかし,論理は正しくても,現実との整合性が取れないことがある。だから,問題解決はロジカル・シンキングだというのを信じない。論理があっても,現実は,動かない。人は,アナログで,それぞれ別々の文脈に生きている。問題解決は,最後は現実に合わせて,論理を曲げなくてはならない。そこが,人の世界を解決することのむずかしさなのだ,と思う。
だから,同じ文脈にいるからといって,同じ関係性を保つとは限らない。いま日本という文脈にいながら,人は,全く別の夢を見ている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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