2014年01月20日
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先日,JCAKの「マインドフル・コーチング」(吉田典生コーチ)に参加してきた。
マインドフルについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11420982.html
で触れたが, 吉田コーチは,マインとフルを,こう定義している。
今,この瞬間の自分の意図,行動,感覚に意識を向け,その状態を保ち続けること。
それを,たとえば,
いま,ここにいると意図する→呼吸に意識を向ける→起きていることを認知し,味わう→評価や判断をせず手放す→
という循環の中で,瞑想する。たとえば,3分5分7分8分,とワークをすることで,自分なりに体験する。
本題と関係ないが,この瞑目して自分の中に意識を向ける作業は,ある意味,皮肉なことに,結果として自分の意識の流れに注目する状態になっているといっていい。そして実はこの状態は,もっともアイデアが生まれやすいのである。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11393394.html
でも,そのことに触れたが,ぼおっとしている三上(厠,馬,枕)でぼんやりしている時が,意識が何かに拘泥しないで,ある意味,覊絆から,つまりトンネルビジョンから解かれて,浮遊している状態になる,それは,視点フリーの状態といっていい。だから,こだわっていた視点や視界や価値がとかれることで,意外なものとリンクし,着想を得やすい。もちろん,それまで持続している問題意識があれば,という前提だが。
閑話休題。
さて,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11420982.html
で,クライアントに対して自分のうちに起きることに注意することで,共振するということを言ったが,このワークショップを受け,さらに何人かとシェアをしあっている間に,気づいたことがある。
この場合,言葉として,それを返すかどうかは別に,クライアントのいま・ここでの振る舞い,言動に,いま反応する自分に着目する,ということは,(クライアントへの)反応の仕方としては,
ひとつは,自分の中で起きていることを率直に言語化して返す,
というのが確かにあるが,いまひとつは,
その自分の中の状態を受け止め,それを振る舞いとして返す,
在り方として,そのまま返す,
ということがあるのではないか。
自分がいま・ここにある自分の状態を受け止めといるという,自分のありようそのものが,
相手への照り返しなのであり,それがそのまま,相手への,
質問になっている,
フィードバックになっている,
承認になっている,
認知になっている,
受容にっている,
という返しなのである。それは,頷きにしても,表情にしても,身振り手振りにしても,佇まいそのものにしても,それをきちんと受け止めましたよ,として,
そこにある,
ということである。これが,いわば,
Dancing in this moment
そのものなのではないか,という気がしてる。だから,クライアントと一緒にダンスするというのは,ただ,クライアントの言動に反応して,つきあうということとではない。
その言動に,自分の中に違和感があれば,立ち止まるか,うずくまるかもしれない,
それは,クライアントのいま・ここと一緒にいるからこそ,それに反応して,共振れして,生じる反応だ。
その意味で,コーチが,いま・ここにいる状態であることで,理屈で言うと,
一瞬いま・ここにいなくなるクライアントを,いま・ここに引き戻すアンカーでもある,
ということになる。それは,言葉レベルだけではわからないかもしれない。クライアントの身体の表情,声の表情,顔の表情,あるいは言葉の表情から反応することなのかもしれない。
その違和感の表現が,
クライアントのいまの状態への照り返しとして,伝わるかもしれない。
もちろん,その自分の感応が勘違いということはある,そこが問題なのではない。
違えば,違という反応が,そういうニュアンスを帯びて返ってくる,それを感受すればいいだけのことだ。
コーチ-クライアント関係という,いま・ここの場にいる自分が,いま・ここにある自分の状態に対しての感度が高ければ高いほど,クライアントのいま・ここに感応し,二人の感応しあう,照らし合う場ができる,ということなのだ。
ま,まだまだ,いま・ここの自分のレベルでは,もっと自分の感度を上げなければ,ただの勘違いの連発になりかねないが…!
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#マインドフル
#マインドフルコーチング
#吉田典生
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