2014年01月25日

即興


ずいぶん昔,学生の頃,人形劇を持って,地方を巡回と称して,回っていたことがあった。

たぶん,クラブへ入部した年だと思うが,何かのトラブルで,人形劇の設営が手間取り,時間に間があいてしまい,場つなぎで,すでに集まってしまった子供たちに,何かしなくてはならなくなり,先輩に,誰か何かできるのはいないか,と聞かれた。誰も手を挙げず,名指しで,お前どうだ,と尋ねられ,思わず,

じゃあ,やります,

と答えてしまったことがあった。

何かできるのはいないか,という問いに,僕なりに,頭をめぐらして,ひとつだけ,こつん,と当たるものを思い出していた。鉱脈といった感じではなく,なんとなく思い出せそうな話があった。

タイトルは忘れたが,子どもの頃買ってもらった絵本で,

迷子の子象,

といったたぐいのもので,母象にはぐれた子象が,豹やライオンに襲われながら,猿たちに助けられて,最後は母親たちの象の群れに救われる,といった話の内容だった。

たぶん,そのとき覚えていたのは,この程度で,途中を適宜膨らませられれば,いいという程度で,ほんの,場つなぎという安易な心構えで,そう50人程度の子供の前に立った。

はっきり覚えているわけではないが,確か最初は,あがっていたはずだ。しかし,象の身振りをするために,右腕を鼻の前でかざして,象の鼻のようにふったところ,子どもたちが,きゃっきゃと大喜びした。

不思議だが,その後,どんな話をしたかはほとんど覚えていないが,いったん象の鼻で,大袈裟な身振りを作って,ひとつの場面を現出させてしまうと,あとは,それと同じレベルの大袈裟な身振りで,

襲い掛かるひょうの大口をあけた口と両のひとさし指で象った牙だの,

狡猾なライオンのこずるそうな表情だの,

怯える子象の震える仕草だの,

等々が,同じレベルで表現されないと,つじつまが合わないと(演じている僕自身が)感じて,オーバーな仕草を続々繰り出していった。

その仕草が,子供たちには,おかしかったのか,懸命に演じている僕の格好・表情がおかしかったのか,きゃっきゃと笑い転げてくれると(僕自身は)感じて,ますます調子に乗って,語り続けた。

思うに,同じことは,二度とできない,という意味では,ラフのストーリーはあったものの,即興といっていい。即興は,素人考えながら,同じレベルで,というか,同じテンションで続けなければ,全体の調和が崩れ,破綻を生じる。どうも,無意識でそれを意識していたらしい。

そして,何より大事なのは,そこに,子どもたちの反応が不可欠だということだ。

子どもがどう反応しているか,


目を輝かせて,こちらを注視しているか,

笑い転げて,隣同士で笑いの相乗効果を発揮しているか,

その場全体が,一体になって,話の舞台に一緒になって乗っているか,

話の展開に,一喜一憂し,ハラハラドキドキしているか,

は反応を見ているとわかる。

だから,乗っているところでは,わざと繰り返し,腕の鼻を何度も,何度も,大仰に振り回して見せたり,象の大群が駆けつけるときは,両足で,床をバタバタさせて,その場のクライマックスを盛り上げたりと,

子供たちの反応にあわせ,

その反応をけしかけるように,繰り返し,

それに倍増するリアクションで,

振りが更に大袈裟になる,

というキャッチボールを,子どもたちと一緒に演じていた。

そこでは,きっと子供たちと同じ舞台で,同じ場面に,同じ感慨と,感情を共有し合えていたに違いない。

思うに,そのとき,言葉以上に身振りが大事には違いないが,言葉がなければ,パントマイムに過ぎない。パントマイムは面白いが,遂に観客は,観客席から出ることはない。演者と観客の隔ては消えない。

しかし,セリフがあるだけで,聞いたそれぞれが脳内で,その台詞を反芻し,反芻することで,

その場に,今,自分が立っている,

というような臨場感を味わえる,というか,その登場人物と一体になっている。

演じている側からも,観客の反応で動いていく自分がわかる。

まあ,いっかいこっきり,二度とやらなかった語りだが,まさに即興であった。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#人形劇
#即興
ラベル:即興 人形劇
posted by Toshi at 07:34| Comment(0) | 即興 | 更新情報をチェックする
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