断念



断念,という言葉のニュアンスが好きだ。何だろう,ちょっと個人的には,潔さを感じてきた。

意味は,「諦めて,思いきる」。しかし,調べていくと,少しずつ,ニュアンスが変わる。思い切ると一言で言っても,

諦める,

思いきる,

の他に,

見切る,

見限る,

放り出す,

投げ出す,

思いとどまる,

踏みとどまる,

投げ捨てる,

手放す,

匙を投げる,

手を引く,

お手上げ,

ひっこめる,

等々,必ずしも,自分の意志とは限らず,

何かの想いを捨てる,

何かの執着を捨てる,

という意味合いにも,自分で見切って,断ち切る場合と,投げ出す場合のふた色があるが,その他に,

何かを仕掛けていたのを中断する,

イケイケどんどんな突進に急ブレーキをかける,

という踏みとどまるニュアンスもある。しかし,自分の意志でそうしたという以外に,

不承不承といったニュアンスの,ちょっと追い詰められた,詰め腹を切らされる感じも色濃くある。だから,

断念したのか,

断念させられたのか,

断念せざるをえなかったのか,

断念を強いられたのか,

で,思いは違う。

「念」という字は,同義の他の文字と比較すると(『字源』による),

「思」は,思案の思い,
「憶」は,思い出す,
「意」は,こころばせ,心映え,
「想」は,相手やカタチに心を映す
「惟」は,ただ一筋に思う,
「懐」は,ふところ,心にこめて思う,

とあり,「念」は,「思」より軽い,とある。

ということは,断念は,あまり思い入れするようなことではなく,ペットボトルを道端に捨てようと思って諦めた,程度のことなのかもしれない。

しかし,「念」を何々という単語を洗ってみると,

想念/雑念/情念/記念

というニュートラルなものよりは,

信念/丹念/懸念/執念/観念/専念



邪念/怨念/疑念/放念/失念

といったものの方が多い。必ずしも,「思」より軽いとは感じない。そのせいか,

瞬間を断念において
手なづけるために(石原吉郎「断念」)

と言ったり,

海は断念において青く
空は応答において青い
いかなる放棄を経て
たどりついた青さにせよ
いわれなき寛容において
えらばれた色彩は
すでに不用意である(石原吉郎「耳を」)

と言ったり,断念には,重さが付きまとう。

時間が筋肉をもつときの
断念と自由を
同時にきみは
信じなくてはいけないのだ(石原吉郎「時間」)

断念は,手放す自由とつながっている。断念が重いほど,手放す自由が大きい。最期,否応なく,すべてを手放さなくてはならない。それが,強いられたものではなく,おのれの「断念」となるために,すべてを手放していく必要がある。最後の最期は,すべての関係も,関わりも手放す。そのとき,

非礼であると承知のまま
地に直立した
一本の幹だ (石原吉郎「非礼」)

一本の,ただ立つおのれになる。ひとは,

自分自身になるために,

生きる。最期まで生きる。

今日のアイデア;

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http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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#石原吉郎

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