2014年02月22日
現出
先日,【第3回 表現の世界で生き続けている人は日々,何を想っているのか(アート・漫画・演劇 クロストーク)】
に伺ってきた。
https://www.facebook.com/events/1392994380956040/
「表現の世界」で活躍される,
アートディレクターの竹山貴さん
女流漫画家の渡邊治四(ワタナベジョン)さん
元俳優で今は作家・エッセイストの飯塚和秀さん,
の,それぞれ10年以上のキャリアを誇る,三人のトークライブである。
今回,(三人の方々から出された)テーマは,
表現とメンタルの関係
アイデアを具現化する方法
やめたくなったことは
等々。三人の話を聴きながら,自分の中で,
表現の意味,
アイデア着想の仕組み,
ということに,いろいろ思いが駆け巡ったので,そのあたり,僕のうちで起きたことを書きとめておきたい。
表現というのは,内なる,
思いの,
イメージの,
感情の,
アイデアの,
物語の,
思考の,
現出化である。
もう少し踏み込むと,カタチにして,この世に出現させることである。そのためには,自分のうちにあるものを客観化しなければできない。因みに,労働とは,能力の現出化である。能力とは,知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする),である。発想がなければ,単なる前例踏襲である。
例えば,怒ることと怒っている感情を表現することとは別である。とすれば,どういうカタチで現出させるにしても,自分の怒りそのものを対象化することが出来なければ, 表現はできない。つまり,怒りの瞬間に,
バカヤロー,
と怒鳴ることはできるが,
僕は(バカヤローと怒鳴りたいくらい)怒っている,
というカタチで言語表現できる人はそう多くない。それは,自分の感情そのものに距離を置かなくてはならないからだ。距離が置ければ,その感情が,
憤慨なのか,
激怒なのか,
憤激なのか,
憤懣なのか,
瞋恚なのか,
の区別がつかない。情報とは差異だから,区別がつかないことは,丸まってしか表現できない(脳はやっかいなことに丸めるのは得意技)。逆に言うと,具体化するとは,実は,選択肢を広げることなのだ。林檎というのと,デリシャス,シナノスィート,紅月,国光,白龍,アキタゴールド等々というのとでは,広がる世界が違う。具体化できれば出来るほど,選択肢が広がるのである。
メンタルコントロールが話題になっていたが,表現は,そもそもメンタルをも対象化するという意志がなければできない。悲しんでいる時も,その悲しみを表現しようとしてしまうだろう。
アイデアについては,前にも
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163403.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163041.html
等々で触れたことがあるが,何かひらめいた瞬間,
0.1秒,脳の広い範囲が活性化する,
と言われている。それは,自分のリソース,
意味記憶
エピソード記憶
手続き記憶,
の他,感覚記憶など,広い範囲のリンクがつながるということだ。つまり,アイデアがひらめくのは,いつもとは違う何かとつながることで,
そうか,
とアッハ体験が生まれる。とすれば,いろんな人に会う,いろんな場にいていろんな体験をする等々,いかに多様な刺激を脳に加えるか,ということに尽きる。それは,自己完結させない,ということが重要になるからだ。ブレインストーミングが有効なのは,自分の思考の癖と違うところ(人の発想)から刺激をもらうからだ。
だから,歩いていたり,人と会っていたり,何かを読んでいたり,と違うことをしている時に,ハット思い浮かぶのは,脳は,いったん問題意識,というか?を入力しておくと,勝手に考え続けるところがある。それが,外との刺激にか,脳内の別のものとにか,リンクがつながり,はっと気づくということになる。
アイデアの出し方には,それなり独自のやり方があり,
メモをKJ法並みに整理していく飯塚氏
問題意識(問い)を温めていく竹山氏,
違和感をシーズにする渡邊氏,
と三者三様だが, 川喜田二郎氏は,創造性をこう定義した。
本来ばらばらで異質なものを意味あるようにむすびつけ,秩序づける。
異質なものを組み合わせて,そこに意味を見つければいい。ハッとするというのは,つながる感覚である。つながった,と感じたのは,そこに一筋の意味が見えたということだ。
ただ,発想は,おのれの,
知識と経験の函数,
でしかない。自己完結する中には,アイデアの光明はない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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