鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか』を読む。
鈴木眞哉,藤本正行両氏が,本能寺の変を巡る,百家争鳴ただならぬ中で,謀略説をまとめて撫で斬りにしている。まあ,気持ちいいくらい,一刀両断である。因みに,藤本正行は,桶狭間の奇襲説を,『信長公記』を読み込んで,正面突破と初めて主張した人だ。いまそれが定説になりつつある。
もともと戦前は,明智光秀の単独犯,
を,あまりにも自明の事実として,
ほとんど謀略説はなかった。そこへ,例えば,
足利義昭黒幕説
イエズス会黒幕説
朝廷黒幕説
を代表に,
明智光秀無罪説,羽柴秀吉黒幕説,徳川家康黒幕説,毛利輝元黒幕説,長宗我部元親黒幕説,本願寺黒幕説,高野山黒幕説,酒井証人黒幕説等々,
まあ後を絶たないというか,こんなに日本人は,謀略だの黒幕だのが好きなのかと思うほどだ。
そこで著者らは,
本能寺の変の実態を再検討する,
ことから始め,それを踏まえて,
個々の「謀略説」が成立するものかどうかをチェック
し,そのポイントに,
実証性があるかどうか,
をおいた。そして,
それぞれの説が論理的な整合性をもっているかどうかも重要だが,単に表面上,理屈があっているかどうかでは足りない。常識的にみて納得できるかどうかが問題あある,
とする。しごく当たり前で,オーソドックスなアプローチだといっていい。素材は,『信長公記』だけでなく,本能寺襲撃に加わった明智の下級武士の覚書,「本城惣右衛門覚書」,ルイス・フロイスの『日本史』等々。
そして,「謀略説に共通する五つの特徴」として,こうまとめる。
①事件を起こした動機には触れても,黒幕とされる人物や集団が,どのように光秀と接触したかの説明がない,
②実行時期の見通しと,機密漏えい防止策への説明がないこと,
③光秀が謀反に同意しても,重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がないこと,
④黒幕たちが,事件の前も後も,光秀の謀反を具体的に支援していないことへの説明がないこと,
⑤決定的な裏付け資料がまったくないこと,
そして,こう問う。
この事件が,あの時点,あの場所,あの形でなぜ起きたのか,
と。そして,
結論を言えば,光秀の謀反が成功したのは,信長が少人数で本能寺に泊まったからだ。そういう機会はめったにない。また,光秀が疑われることなく大軍を集め,襲撃の場所まで動かせる機会もめったになかった。光秀にとってこれらの好条件が重なったとき,初めて本能寺の変は成功したのである。すなわち本能寺の変は,極めて特異な〈環境〉の下でしか発生しなかった事件なのである。
そのことを予想して謀略をめぐらすことはできない,と著者は言うのである。その絶好の条件は,
光秀自身が作ったものではないということ,
さらに,
彼以外の特定の誰かが作ったものでもない。光秀が中国出陣を命ぜられたのは,その直前に秀吉から信長への援助要請が届いたからだ。また,他の武将たちがすべて京都周辺から離れていたことも,織田家の内部事情によるものであり,光秀を含めて特定の誰かが工作した結果でもない。
つまりこの好機は,天正十年五月の後半に突然飛び込んできたものなのだ。当然謀反の準備はこの時から始まったと見なければならない。こうした事実は,謀反を計画した真犯人が別にいたとする謀略説に,決定的なダメージを与えるものである。
と述べ,むしろ,光秀という人物像を,改めるべきだと指摘する。ルイス・フロイスは,『日本史』で,
裏切りや密会を好み,刑を科するに残酷で,独裁的でもあったが,己を偽装するのに抜け目がなく,戦争においては謀略を得意とし,忍耐力に富み,計略と策略の達人であった。また築城のことに造詣が深く,優れた建築手腕の持ち主で,選び抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた,
と評している。光秀を,
古典的教養に富んではいるが,どこか線の細い常識家で,几帳面ではあるが,融通のきかない人物,
とするイメージを払拭すべきだと,主張する。フロイスの示す,
一筋縄ではいかない,したたかで有能な戦国武将,
というイメージで見るとき,光秀が,実質「近畿管領」(高柳光寿)というべき地位にあり,畿内の重要地域を任されていたという意味で,
光秀と信長は馬が合う人間だった,
とする高柳氏の指摘を注目すべきだ,指摘している。そして,こういう言葉には,説得力があるように思う。
光秀が絶対に失敗を許されない立場にいたことを忘れてはなるまい。フロイスの『日本史』に,光秀が重臣たちに謀反を打ち明けたあとの行動について,「明智はきわめて注意深く,聡明だったので,もし彼らの中の誰かが先手を打って信長に密告するようなことがあれば,自分の企てが失敗するばかりか,いかなる場合でも死を免れないことを承知していたので」直ちに陣容を整えて行動を開始したとある。
これこそ,常識的な見方といっていい。そして,朱子学的な順逆の価値観を捨ててみれば,光秀の決断は,下剋上の戦国時代において,別段特異な現象ではないことがわかるはずである。
目の前に天下(この場合,日本全国ではなく,中央部分,すなわち畿内を指す)を取れる機会があるのを,むざむざ見逃す手はない,ということなのではないか。
参考文献;
鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか』(歴史y新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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