2014年03月05日


コミュニケーションが同じベースの上で行われているかを見る目安に,

同じ土俵に乗っているかどうか,

ということを考えるが,それと似たもので,二人(とは限らないが)の関係性を,

同じ紐の輪に入っているかどうか,

というのをイメージしてみた。メタファーという方がいいか。

紐と書くとなんか変だが,電車ごっこの紐ないしゴム紐を想定してほしい。

相思相愛というと,意味が変わるかもしれないが,思いを共有している状態をイメージしている。コミュニケーションの問題ではなく,思いが響きあっている関係を,この紐をもっている関係という形で象徴させてみた。

別に二人である必要はないのかもしれない。

電車ごっこ(をしているという関係)は,その紐を電車に見立てるということを共有しなければ,成り立たない。その意味では,ゲームと似ている。ヴィトゲンシュタインの言語ゲームではないが,紐で,思いの共有ゲームをイメージできる。

その思いに共鳴しているだけでいいのかもしれない,どっちへ向かうか,何をするかはともかく,そのひもを関係性の象徴として受け入れていれば,そこに関係性が成立する。

まあ,二人をイメージした方がわかりやすいので,そのままこれで進めるとすると,すくなくとも,その関係性を保とうとする意志が,その紐になる。

例えば,ブレインストーミンの,

批判禁止
質より量
自由奔放
相乗りOK

は,そういう紐のルールといっていい。それは,

相手を受け入れる,
相手を認める,
相手に○をつける,

という対人の認知,承認が前提ルールになっている,といってもいい。

それを信頼という言葉に置き換えてしまうと,少し違う。あえて言えば,恋という言葉のほうが近い。

響きあう,

というか,お互いの,

心の鐘,

思いの鐘を,

鳴らし合う,そういう関係なのだと思う。それが,両者の心を刺激し合い,アイデアや発想につながる,そういう関係である,といっていい。

成長しあう,

という言葉の方がいいか。そういう関係性を互いに認め合い,相手の想いを鳴らし,励ませる,それがそのまま自分の心の鐘に反照し,共鳴する。

あるいは,それぞれが,

おのれのままに,ありのままにふるまうことが,そのまま認められる関係,

を象徴するもの,と言ったらいいか。

紐の長さは一定とは限らない,距離の近さ,等差は,そのときどきの意志で,伸縮するだろう。そういうときはいつも近接したところでいることがいいとは限らない。

あるいは目指す方向が異なることもあるだろう。しかし引っ張りすぎれば,伸び切ってしまって,紐の関係自体が意味を失う。そんなに引き伸ばしたいなら,紐を外せばいいので,伸縮性があるといっても限度がある。

ある意味,緊張感は不可欠かもしれない。

認めあうというのは,

それなりの緊張した関係なのかもしれない。

品位,

というか,

品性,

というか,

節度,

というか。それを矜持と呼ぶか,自恃と呼ぶかはわからないか,一種の潔さと言っていい。人が何と言おうと,おのれというものを毅然として保つ,そういう凛とした姿勢だ。だから,

一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの(石原吉郎「一期」)

という緊張感は欠かせない。

あるいは,思うに,コーチングにしろ,カウンセリングにしろ,そのセッションは,共有する紐がなければ成り立たない。それは,あるいは,共有する意思と言い換えてもいいが。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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posted by Toshi at 05:31| Comment(1) | 人間関係 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 人気ゴルフアイアン at 2014年03月05日 12:30
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