2014年03月07日

突破力


【第8回 アートディレクター竹山貴のガチンコ人生!!!月例晒し者にする会。】に参加させていただいた。

https://www.facebook.com/events/663462340359215/?ref_newsfeed_story_type=regular

たまたま,その前日に,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/390642044.html

「勢い」について考えたせいもあり,そのまま引きずっている。

話の流れで,「一流とは何か」ということになった。それは,それぞれのお考えがあり,参加者も含めて,

絶対的な練習量,
その考え方というか努力の方向,
センス,
才能,

等々が出されたが,僕の頭には,野球をしている誰もが,どれだけ頑張っても(その練習の質と量自体が違うが),イチローにはなれない,ではその,イチローのイチローたらしめているものは何か,が頭の中を駆け巡っていた。

才能,

と言ってしまえば,それまでだ。僕は,遺伝子の持っている可能性の限界は,どうしようもない壁だと思っているけれども,でも,そう言ったのでは,一流とは,一流だからだと言っているようなもので,答えにならない。

ずいぶん昔,プロフェッショナルとは,を考える際に,一流,二流,三流の違いについて書いたことがあるが,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163044.html

そこでは,

①「一流の人」とは,常に時代や社会の常識(当たり前とされていること)とは異なる発想で,先陣を切って新たな地平に飛び出し,自分なりの思い(問題意識)をテーマに徹底した追求をし,新しい分野やものを切り開き,カタチにしていく力のある人。しかも,自分のしているテーマ,仕事の(世の中的な)レベルと意味の重要性がわかっている。

②「二流の人」とは,自らは新しいものを切り開く創造的力はないが,「新しいもの」を発見し,その新しさの意義を認める力は備えており,その新しさを現実化,具体化していくためのスキルには優れたものがある。したがって,二番手ながら,現実化のプロセスでは,一番手の問題点を改善していく創意工夫をもち,ある面では,創案者よりも現実化の難しさをよくわきまえている。だから,「二流の人」は,自分が二流であることを十分自覚した,謙虚さが,強みである。

③「三流の人」とは,それがもっている新しさを,「二流の人」の現実化の努力の後知り,それをまねて,使いこなしていく人である。「使いこなし」は,一種の習熟であるが,そのことを,単に「まね」(したこと)の自己化(換骨奪胎)にすぎないことを十分自覚できている人が「三流の人」である。その限りでは,自分の力量と才能のレベルを承知している人である。

④自分の仕事や成果がまねでしかないこと,しかもそれは既に誰かがどこかで試みた二番煎じ,三番煎じでしかないこと,しかもそのレベルは世の中的にはさほどのものではないことについての自覚がなく,あたかも,自分オリジナルであるかのごとく思い上がり,自惚れる人は,「四流以下の人」であり,世の中的には“夜郎自大”(自分の力量を知らず仲間内や小さな世界で大きな顔をしている)と呼ぶ。

と,整理した。いまは,少し違うところもあるが,基本は,変わっていない。自分は,

せめて,自分は四流ではなく,三流程度ではいたい,

と,思っていたし,いまもその思いに変わりはない。そこで大事にしているのは,

オリジナリティ,

ということのように思う。何かの本を読んだが,

研究者は,何を研究するかで,時代の流行を追うか,あらたな分野を追うか,そのセンスが問われる。しかし,どうにもならない袋小路に入り込んで,研究者人生を台無しにする人も一杯いる,

と。そこで穴が穿たれ,向こうが見えれば,一流となるのかもしれない。しかし,それは紙一重のような気がする。

会場で,僕は,結局,

突破力,

という言い方をしてしまったが,上記の意味で言えば,結果として,常識の壁,専門家の壁,評論家の壁,無理の壁,才能の壁,過去の壁等々を打ち破れれば,という意味だ。その壁の前に,死屍累々というのは,当然ある。自分が突破する側にいるとは限らない。

イギリスのSF作家,アーサー・C・クラークは,

権威ある科学者が何かか可能というとき,それはほとんど正しい。しかし,何かが不可能というとき,それは多分間違っている,

と言っていたそうだが,トーマス・クーンの言うパラダイムが,その時代の人の発想を制約する。僕流に言い換えると,文脈に制約される。それを破るには,強烈な衝迫力,突進力がいる。

それを破ると,何かかある,

というのは錯覚かもしれないし,勘違いかもしれない。しかし,

それを破る力がある,

と,おのれを見誤るとという過大評価するのも,考えたら,一流の証かもしれない。ただし,やりきらなければ,ただの思い上がり,自惚れに過ぎない。

自分の限界がどこにあるか発見するためには、自分の限界を超えて不可能だと思われるところまで行ってみる他はない,

という言い方を良くするが,その通りだろう,とことん,突っ走っていくことがなければ,どれだけ走れるかなんてわからない。その意味で,

走りながら考える,

という竹山さんの流儀は,僕もそうだから,首肯できる。走ってみなければ,わからない。

ただ,方向感覚は,確かめるメタ・ポジションを手放してはならない気がする。それは,

世界観,

といっていいものだ。ビジョンとは違う,自分の描こうとする,実現しようとする世界像ではなく,独自の世界観だ。大袈裟に言うと,

世界とは何なのか
どうして存在するのか
そのなかで人間はいかなる位置を占めるのか

等々についての自分なりの考え方だが,ぶっちゃけ,

この世界をどう見て,どうとらえているか,

である。そのものの見方が,どれだけ独創的か,がその人のパフォーマンスにつながる。それが,イチローのように,ベースボールについてのそれということもある。その中で,どう自分が生きるかが,イチローの実現してきたもの,これから目指すものだろう。表現の世界では,その人の目指す作品の世界像の根底にある。あるいは,それをさまざまに現出させようとして作品が生まれる。それを見失うと,どつぼにはまる。

因みに,どつぼにはまった時の脱出法は,

時間的,
にか
空間的,
にか,

そのとき,その場から,距離を置くしかない。その距離が,いつもとは違う視点での自己対話を促すのだと思っている。それもまた,走りながら会得していく。

考えると,イチローは片時も,立ち止まらず,走り続けている。しかも,日々変身し続けながら。あの長距離ランナーの姿勢もまた,一流の証なのではないか。当然,走り続ける心身のメンテナンスを欠かさない。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:26| Comment(1) | 表現 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by jpx800 アイアン at 2014年03月07日 12:21
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