2014年03月13日

コーチ-クライアント関係


かつて,コーチのファウンデーションについて,いくつか書いた。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163156.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163157.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163158.html

しかしクライアントから見たとき,ではコーチのありようはどう見えるのか。

確かに,僕にとって,コーチが有名人であるか,高名であるか,金持ちであるか,信頼できる人物か,高潔な人か,人品骨柄のすぐれた人か,は知ったことではない。僕にとってコーチとして,僕のサポートにふさわしいかどうかが大事だ。そう思っている,これはいまも基本は変わらない。

だから,リアル世界で何をしていようと,どんなあり方であろうと,僕とのコーチングの舞台の上で,僕が信頼できるコーチとしての振る舞いをしてくれるかどうかが大事だと思う。

その意味で,逆の言い方だが,コーチングの場のみが大事で,リアルのコーチを知らない方がいい(かもしれない)。

ただクライアントの鏡として,正確に反映してくれる。その場にコーチとして存在するのではなく,自己対話の一人としてそこにいて,クライアントの対話に加わり,さりげなく自己対話を崩す問いかけをする。いつもの自己対話が,そうやって,微妙に変わって,自分を崩し,自分を変えていく。

そうであるなら,そういう環境をつくってくれるコーチが大事で,リアル世界に存在する,コーチ何某を,なまじ知らぬ方がいい。

そうは思うのだが,ハロー効果の逆を何というか知らないが,信頼度が下がることが,リアル世界での関わりがあると,結果として,コーチへのマイナスのハロー効果が増す。

それは直接コーチングとは関係ない。例えば,例は悪いが,仲間内に悪い評判が立ったとすれば,そのことで,コーチングをしている土俵上での,コーチの振る舞い,言動に不審を懐くだろう。いや,そうではない。ちょっとした違和感があると,すべては世評のせいにして,不審が勝手に膨らむだろう。一旦懐いた不安や懸念は,日に日に拡大し,ひび割れを大きくしていく。

クライアントにとって割れた鏡では,もはや正当に自分を映し出してくれる鏡にはならない。というより,写ったものが正確ではないと感じてしまうだろう。事実がどうかとは関係なく,クライアントの心理として。

そうして幾つかが重なっていくと,その懸念は,もはや不審から,不信に近づく。

しかし,それはコーチのせいではない。クライアントが勝手に懐いた不信だ。確かに,何か疑問や不安や等があれば,正直にフィードバックしてほしいと,どのコーチもいう。一般的にも,それがいいという。クライアントの正直さ,オープンマインドとして。

クライアント一人の問題ではなく,コーチ-クライアント関係での,二人の問題として,俎上に上げて,両者できちんと向き合う必要がある,というのも一理ある。そうするのがベストなのだとは,思う。

しかし,第一に,しかしこのあたりの心理的機微は,言葉になるか,という疑問がある。言葉にできないわけではないが,言葉にした瞬間,何かが零れ落ち,別のことを話していることになりそうだ。


第二は,両者で話すこと自体が,本当にそうか,という疑問がある。一般論で言うが,サービス業で,そのサービスに懸念を懐いた時,いちいちフィードバックするだろうか。黙って,立ち去るのではないか。フィードバックするということは,コーチへのモニター役を果たすことになる。それをする気持ちもないほどの心理状態というのはありうる。セラピーでは,次回の約束をすっぽかし,そのまま来なくなるケースは一杯ある。コーチングでもあるかもしれない。

例のセラピーの効果を調べたデータでは,

クライアントの要因40%
セラピスト・クライアント関係 30%
セラピーへの期待とかプラシーボ効果15%
セラピー技法 15%

といわれる。コーチングでも同じことで,クライアントの要因が大きいなら,クライアントの心的変化によって,少なくとも,関係性と期待が消えて行く。その二つが消えれば,コーチング技術への信頼も消えるだろう。

コーチ-クライアント関係は,共に成長していく。クライアントの成長に合わせて,コーチも成長していく。

しかしそれには,両者の絆というか,両者が共に同じ土俵に乗っているからこそ,お互いが切磋琢磨していくことができる。が,それが実感できない,あるいは微妙な違和感を,感じ出したとすると,その共に歩いている実感がなくなる。同じの土俵の上で,一杯コーチングの恩恵は受けた,しかしいったん失われた信頼感,一体感は,もう取り戻せない。それはクライアント側の思い違いかもしれない。しかし,それでも,崩れたものは戻らない。

そうなると,単なるサービスの契約関係になっていく。ペイはペイとして払っている。恩義はペイされている。ならば,それ以上のフィードバックは,クライアントからの返礼になる。それをしなくてはいけないのか,となる。

それは心理的なものに過ぎない。確かに,そうだが,信頼そのものが,もともと心理的なものではないのか。

コーチ-クライアント関係を解消するとき,コーチ側から言われることもある。しかし,もしその申し出がもしクライアントにとって理不尽だとすれば,それまでの信頼関係は,雲散霧消する。その申し出自体が,コーチ-クライアント関係そのものを崩すということもある。

ではクライアント側からはどうか。当初の目標が達成された,目指しているものが実現できたという円満卒業を別とすると,

ちょっとマンネリだな
コーチングそのものに不満
どうもコーチとの相性が合わない
行動変化が起きない
惰性化している
新しいコーチとの新たなコーチングをしてみたい

多くは,コーチとの関係性そのものへの葛藤からくる。

つくづく思うのは,信頼を築くには,時間がかかるが,崩れるには,ほんの小さな綻びひとつで,十分だということだ。それは,必ずしも,コーチのミスでも,コーチングの瑕疵でもないことがある。コーチ-クライアント関係そのものの土俵の崩れなのかもしれない。小さな綻びは,その気づいた時に繕わなくては,手遅れになる,そう実感した。

しかし取り繕ってまで維持する関係とは何か。つくづく,コーチ-クライアント関係というのは特殊だと思う。というより,僕のコーチ-クライアント関係の捉え方が,少し心情的すぎるのか。もう少し世の中の人は,ビジネスライクなのかもしれない。たぶん,ここにコーチング論の差が出る。期待するコーチ像の違いを反映している。


参考文献;
バリー・L・ダンカン&マーク・A・ハブル&スコット・D・ミラー『「治療不能」事例の心理療法』(金剛出版)



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:55| Comment(1) | コーチング | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by ゴルフドライバー 人気 at 2014年03月20日 17:01
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