緩和ケア
緩和ケア
たくさんの「死」に触れ,看取りをしてきたという看護師の方と,ちらっと立ち話をした。ただ会話の接点を探すつもりで,
母が緩和ケアにいた,
と話したら,あれは私の看取っているのとは違う,という趣旨のことを言われた。話の接ぎ穂がなく,
三ヵ月も持たなかった,
と言ったが,関心を示されなかった。そうか,緩和ケアは,ホスピスとはちがうのか,とそのとき,なんとなく,そんな話を持ち出した自分を恥ずかしく感じた。しかし,心のどこかにわだかまりがあった。
なぜなら,僕のあのとき受けた説明は,
治療しない(治療しても無駄だから,とは言わなかったがそういう意味)で,苦痛だけを和らげる,
ということだった。最早治療が効果がないので,無駄に医療行為をしないで,緩慢に,死をまつ,ということだ。そうは,母には説明できなかった。一緒に車いすで,説明をききに緩和ケア病棟まで行ったことを思い出す。
実は,治癒の見込みがないというか,はっきり言わないが,
治療行為が医療費の無駄遣い,
というニュアンスで,自宅へ帰ることを病院から迫られていた。
つまり,治療しない,ということは,自宅へ帰って,自宅で死を待つ,という決断を迫られていた。しかし母は,医者の娘でもあったので,
自宅へ帰って何をするのか,(治療できないという意味で)帰っても仕方ない,
と言っていた。まだ,本人は治療行為を諦めていなかった。
幸か不幸か,その病院には緩和ケア病棟があり,空きが出た。後に,そんな僥倖はない,と言われたものだが,緩和ケア病棟のある病院自体が少ないからだ。
治療しないということは,緩慢に死を待つだけだ。というより,治療をしないということは,癌と戦わないということだから,必然的に急速に癌が進行する。緩慢ではなく,急速ケアといってもいい。
つまり,緩和ケアは,死を見守る,
というより,死期をひたすら早める,
ということだ。
因みに,日本ホスピス緩和ケア協会では,
緩和ケアとは
緩和ケアとは,生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して,痛みや其の他の身体的問題,心理社会的問題,スピリチュアルな問題を早期に発見し,的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって,苦しみを予防し,和らげることで,クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである。
緩和ケアは・・・,
・ 痛みやその他の苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し,死を自然なことと認める
・ 死を早めたり,引き延ばしたりしない
・ 患者のためにケアの心理的,霊的側面を統合する
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別語の生活に適応できるように支える
・ 患者と家族―死別後のカウンセリングを含む―のニーズを満たすためにチームアプローチを適用する
・ QOLを高めて,病気のかていに良い影響を与える
・延命を目指す其のほかの治療―化学療法,放射線療法―とも結びつ
・それによる苦痛な合併症をより良く理解し,管理する必要性を含んでいる
と定義している。そして,緩和ケアとホスピスの違いについて,ウエブで調べると,
緩和ケアという言葉は「緩和ケア入院加算料」を算定している場合に使います。
要件は,
末期悪性腫瘍患者の終末医療を行う医療施設で厚生労働大臣の認可を受け,
①病室は1人あたり8㎡以上であること。病棟は1人あたり30㎡以上であること。
②個室が病床の50%以上あること。差額病床については病床数の50%以下であること。
③家族控室,患者専用の台所,面談室,談話室があること。
④入退棟についての判定委員会が設置されていること。
⑤病院の医師数が医師法の標準を満たし,かつ常勤の専任の医師が当該病棟内に勤務していること。
⑥当該病院が基準看護の承認を受けていること。
⑦看護婦が患者1.5人に対し1人の割合で当該病棟内に勤務していること。
です。つまり上記の要件を満たしている施設だけを緩和ケア病床(病棟)と呼び,要件に関係なく,終末医療を行う施設を指して言うときはホスピス,と分けていいのではないか,
と。この説が正しいかどうかは知らない。しかし,これを前提にすると,
上記の看護師の方は,ホスピスと緩和ケアは別物だと思われたのかもしれない。いやいや,厳密に言うと,現場感覚では,そうなのかもしれない。
患者家族にとって,死を待つということでは同じだというところではなく,その厳密な違いだけに焦点を当てられたのかもしれない。「緩和」という言葉に,母と同様騙されたのではないか,と疑っている。
そして,僕は,いま猛烈に腹を立てている。
迂闊にそんなことを言い出したことに,
そのために,結局母をお為ごかしに,死に追いやっただけだったことを思いださざるを得なかったことに,
そして,自宅治療か緩和ケアかと二者択一を迫った医師に,そして病院に,
更に,そういうふうに追い込まれる患者家族を生み出す国の仕組みに,
結局いつも個々人の責任で死を背負い込まざるを得なくさせる日本という国に,
そして,八つ当たりだが,件の看護師の方の配慮のなさに,
ついでに,そういうことをいまさら思い出している自分自身に。
結局人は,自分のキャリア以上の視界(パースペクティブ)を持てない。そのことに自覚できるためには,広い,メタ・ポジションを持てなくてはならない。
メタ・ポジションの自覚のない人を信じてはいけない。それは,コーチでもカウンセラーでも,ビジネスマンでも,自分の視点しかなければ,
たまたまをそもそも,
としていることに気づけない。
そして,そのことは,そのまま自分に返ってくる。おのれはどれだけメタ・ポジションを持てているか,言い換えると,どれだけ広いパースペクティブを持っているか,と。
和辻哲郎は,確か,
視圏
という言葉を使った。その広さこそが,その人を見る目安だ。そして,それは,言い換えると,おのれの知っていることは,所詮おのれの経験したことに過ぎないという,
謙虚さ,
を欠いてはいけないということだ。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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