読書
本を読むというのが,習い性のようになっている。昔は,あまり本を読んだ記憶がない。少なくとも,高校生の時代は。まあ,おくてである。
しかし,大学に入って以来,無知を悟り,というか思いっきり恥をかいて,夏休みまでに,平凡社の世界文学全集,という文庫サイズのものが実家にあって,それを読破した。その中に,『戦争と平和』もあったはずだか,ショーロホフ『静かなドン』にただ圧倒された記憶がある。
その後,『チボー家の人々』を読み,後は乱読になったと思う。その時代に深く印象に残ったのは,『カラマーゾフの兄弟』だろう。特に,大審問官は,強烈だ。
昔は,結構抜書きをしたり,場合によっては,一作丸々,写しとったこともあったが,日記をやめてからは,ずっと読みっぱなしになっていた。
最近,ブログで本を紹介するようになってから,全体を俯瞰するように変わった。前は,良くも悪くも,虫瞰的で,気に入ったフレーズを引っ張り出して,書きとめていた気がする。そのせいか,全体が見えない癖があるかも。
例えば,記憶では,(石子順造氏が)それぞれのラストシーンを,
鉄腕アトムは太陽に向かい,サイボーグ009は流れ星になった,
といった趣旨のフレーズで表現していたと覚えているが,ところがそれがどこにも見当たらない。あるいは,
人は持っている言葉によって,見える世界が違う,
というのは,ヴィトゲンシュタインだと思っているが,これが見当たらない。あるいは,
人は死ぬまで可能性の中にある,
はハイデガーの『存在と時間』に見当たらない。あるいは,誰だったか,大学の授業で聞いたフレーズかもしれないが,
握った手は握れない,
というのは,これもどこにも探せないでいる。
アイデア一杯の人は決して深刻にならない。
これは比較的最近だが,記憶が確かなら,バレリーだと思うが,定かではない。
フレーズが全体を象徴しているならそれでもいいが,そうでない場合は,とっても恥ずかしい目に合う。昔,ヘーゲルの『精神現象学』を逐語的に(訳が悪かったせいもあるが)読み進め,結局全体像がつかめなかった愚を犯した。そういうことになる。
前にも書いたことがあるが,僕は古井由吉にはまり,『杳子』はほぼ丸ごと,写しとった。その時感じたのは,文体が生理ではなく,文体が生理を呼び起こすという感じであった。吉本隆明の詩に,
風が生理のように落ちて行った,
というフレーズがあったが,意識の多層性,キルケゴールの言う,
自己とは,ひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいは,その関係に関係すること,そのことである,
を,表現していると感じたものだ。
その意味で,日本語というものの持っている表現可能性を,ぎりぎり極限まで突き詰めた文体は,美を通り越して,言葉が示せる極北の世界を見た,と感じた。これ程の文体をもつ作家は,以前も以後もいない。
それを, 不遜にも,
http://www31.ocn.ne.jp/~netbs/critique102.htm
で,まとめたことがあるが,これが,
http://www009.upp.so-net.ne.jp/ikeda/shirowada.pdf
で引用された。考えてみれば,いまは,ブログが,自分の発信ツールになっている。
ブログで読書感を書きながら,最近思うのは,結局読書も対話なのだ,と思う。たとえば,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/389603151.html
は,著者と対話した感じが残っている。
考えることが,自己対話だとしても,その対話の視点がどれだけ多角的であるかは,どれだけ多様な人との対話をしたかにかかっている。その意味で,読書は手軽な対話の場なのかもしれない。
昨今のわが国の為政者たちを見ていると,その対話が自己完結した人ばかりが,妄想している印象なのは,さまざまな視点や考え方の人と対話を積み重ねる努力をしてこなかったということを,無残にも露呈している。
それは,知的レベルの低さということだ。これでは,他国の知性あるリーダーと対話できるはずはない。そして,それは,日本人自身が,他国から侮られ,軽んじられることを意味する。投票行動を軽んじることは,結果として,天に唾するのと同じことになっている。
僕は,そういう意味で,物理,天文,数学,科学,詩,小説,演劇,落語,歴史,ビジネス,経営,哲学,古典,心理等々,何でもかんでも,興味と好奇心に引かれて,要は乱読だが,その分多様な対話を重ねてみたい。まだまだ出会ってない人が山のようにある。それが,結果として,自分の考える力,つまり自己対話の視点を増やし,おのれの自己完結性(うぬぼれ)を崩すことになる(はず?)。
自己完結は,痴呆のはじまりだ,とおのれを戒めよう。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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