山に登る
よく目指すものを山にたとえる。あの山の高み,というように。しかし,僕には,いつも頂上は見えない。雲の中に隠れて見えない,というよりも,高すぎて,頂上が,僕のいる下界からは,到底見えないのだ。
例えば,コーチに聞かれたりする。
目指すものを喩えると,
山かな,
それはどのくらいの山?
結構高い。
その山に登ったら,どんな景色が見えるか?
と。
しかしいつも思うのだが,そう問われても,
山の頂に立つと,もっと高い頂が見える,
それを上ると,
もっともっと高い,次なる頂が見える,
としか言いようがない。そこまで登らなければ,その上がある,ということは見えない,その上の厳しさもまたわからない,ということだ。
昔,高校生の頃,全学だったか,学年だったか,クラスだったか,忘れてしまっているが,伊吹山登頂という行事があった。あのように,孤立している山なら,それで終わりだから,登頂したら,たしかあの時も,駈け下りてきた記憶があるが,降りるしかない。そういう山の目指し方もあるのかもしれないが,僕の山は,峨峨とした山で,高くて頂が見えない,というイメージなのだ。
そこが頂かと思って登りきると,その先にまた頂が見えてくる。そこまで到達しなくては,その先は見えない,という感じなのだ。たとえると,山に沿った道を歩いて,そこを曲がる,見えるかと思ってその角を曲がってみると,また蜿蜒と道が続いていて,山腹をうねうねと続いていく,そんな感じだ。
終点というのがない,
のかというと,僕の中で,そういう感じはない。それでは,ただの徒労感しか生むまい。
何で山なのか,というのはちょっと説明しづらい。何かを目指すのが,山に登るというのに,見立てたほうが。しっくりくるというだけだ。
これを,眼路遥か続く道にたとえると,なんとなく物足りない。それなら。ただ歩けばいいので,なんとなく芸がない気がする。
何かを達成するとか,何かを成就する,実現する,というのが,僕には山に登る,というイメージらしいのである。
別に克己勉励型ではないが,ただ足で歩けばいいというのでは,何というか,誰でもできそうだ。僕でないとできない工夫と創意がいるものがいい。となると,ちょっと一筋縄ではいかない山に登る,という感じがぴったりの気がする。
いわば,分岐点,
でもある。あるいは,
峠,
とか,
背
という言い方もある。それが踊り場なのか,中継地なのかは,ひょっとすると,こちらの意志次第なのかもしれない。つまり,
山を登ること,
が目標ではなく,
山の向こうの景色をみること,
でもなく,
山を次々踏破していくこと,
でもなく,
ただ,厳しい山を乗り越えて,次の位置にまた新たな目指すべき高みが見えてくることが,目標であり,それは,そのまま自分の人生のあり方,というとちょっと格好つけすぎだろうか。
なんとなく,ゴールが見えないまま,しかし,なんとなく,この山の向こうに,大事な何かがある,という感触というか,直感だけで,山を登っている気がする。下ろうとは思ったことは,あまりない。まあ,この程度かと,一休み,二休みしたことは,ままある。もう気づかず休んでいるのかもしれない。
でも,まだ,山を登ろうという気構えだけはある。
気力と,体力は,まだ少しある。
と,思ったとき,僕の中には,同行者が全くイメージできていない,ということに気づいた。どうやら,どこまでも,一匹狼であるらしいのである。ひとりで,コツコツと,自分だけの創意と工夫で,ということは,我流(独りよがりとも言う)で,登り口や登り道を探り当て,それをおのれの力だけで(といっても,先達の肩に乗っていることに変わりはないが),できるだけひとに助けを乞わず,登っていくことの,
自恃
が好きなのである。まあ,おのれひとりでやっているという,自己陶酔に他ならない。人をまとめたり,人を束ねたりするくらいなら,一人でやってしまう,そういう性分なので,組織人には向いていなかったらしい。
だから,一人分の仕事しかできないが,そういう自分の仕事の仕方が気にいっている。
あ,同行二人か!
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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