2014年04月11日
切れる
ときどき年甲斐もなく,切れる。
しかし,切れるといっても,感情的に爆発したり,暴力を振るうということではない。癇癪というのでもない。よくあるのは,
理不尽さ,
への怒りである。これは,
許せない,
という思いである。
突発するので,誤解に基づくこともあるかもしれない。逆に火に油を注ぐケースがないでもない。いつだったか,シンガポールを旅行中,日本人が居丈高に何かを言っているのに,
ちゃちゃ
を入れて,そいつらと口論になったことがある。あるいは,ツイッター上で,
放射脳
とかといって,放射能をあざけっている奴を見ると,切れる。で,
茶々
を入れて,いわゆるネトウヨに絡まれたことがある。いつもではないが,ときに,
見て見ぬ振り
ができない。余分なことに介入して,事態をこじらし,火の粉が自分に飛んできたことがある。
理不尽さ,
には,差別やいわれなき権柄ずくというのに対する,反撥というか反感がある。別に正義感と言うほどの大それたものではないから,所詮思いつき,
たまたま,その場に居合わせた,
という類が多い。理屈でも理論でもないから,遺伝子レベルではないか,と思う。父親は柔道をやっていたので,ヤクザだかチンピラだかを投げ飛ばして,返り血を浴びて帰ってきた,という武勇伝の持ち主なので,その血のなすわざでしかない。
多く,特有のシチュエーションがある。
まずは,いわれのない主張,だ。ヘイトスピーチや過去の隠蔽や差別,に絡むことが多い。
ひとを怨まば,穴二つ
ということをいうが,人種差別も同じだ。多く,自分は安全な日本にいて,たぶん暴力的な仕返しを受けないという,
高をくくった,
ところで,差別している。なぜ差別するか,その背景を忖度する気も,興味もないが,本気で差別するなら,差別する相手の国に行って,大声で主張すればいい。それなら,快哉を叫んでもいい。たとえば,アメリカで,
反米広告
を打つ,みたいなことだ(可能かどうかはさておく)。
その度胸も覚悟もなくする輩の,不遜で夜郎自大な差別行為の卑劣さが許せない。
安全なところで,という意味では,匿名で,ツイッターで罵倒する輩も同じだ。まだしも,せいぜい堂々自分の名前を賭して発言する方がまっとうだ。
ツイッターの発言に,(真偽はさておき)
ヘイトデモに出くわした,その国から来た観光客の女性が,座り込んで,泣いていた,
というのがあった。むしろ,恐怖ではないか。想像してみればいい。
外国で,旅行にしろ,滞在にしろ,
ジャップ出ていけ,ジャップ死ね,
というプラカードを持ったのに出くわしたときの恐怖を。自分は,決して安全地帯から出ないで,人を罵る輩に,カッとするのは事実だ。
もうひとつ切れるのは,アホなのに,アホの自覚がなく,性懲りもなく人を非難する奴だ。よほどの性根を据えなくては,人を非難すれば,数倍のつけを背負い込む。
僕も人を非難する方だから,よく分かるが,そのときの拠って立つ拠り所が,あてにならない,正義感などに拠ってい立つと,結果は悲惨になる。そんなものはないからだ。
有るのは,おのれの意志のみだ。
となれば,相手に押されても怯まず押し返す気力と,気概がなくては,とうてい敵いっこない。そこのところがわからない。
そう,これは自分のことを言っている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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