「マリンバ未知子バースデーライブ」に行ってきた。
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今回は,マリンバの他,
アラブ音楽で伝統的に使われる撥弦楽器,カーヌーン,
エジプト発祥と言われるタンバリン,レク,
も加わって,鈴木さん自身も,カーヌーン,レクも演奏し,
鈴木未知子(マリンバ,カーヌーン)
松本ちはや(パーカッション)
山宮英仁(レク)
の協演であった。音楽については,門外漢なので,全くの妄想だが,たぶん,
叩く,
打つ,
は,音楽の基本のような気がする,吹くとか,(バイオリンなどの)弾くとかは,どちらかというと線なのに,
打つ,
叩く,
は,
点,
というか,ドットのつらなり。
撥,
を使うものも,
爪弾く,
のも,打つの系譜に(無理やり)加えると,どうも,テンポというか,拍子というか,曲の基本を決めていく気がする。ずいぶん昔,
山下洋輔
の年末ライブを聴いた時,ピアノが打楽器(?)だということを思い知らされて,衝撃を受けたのを思い出す。なんだか,ピアノが壊れそうな気がしたのに,でも,その扱いに,ピアノは嬉しそうに躍動していた気がする。いやいや,躍動していたのは演奏者山下洋輔だったかもしれない…!
パーカッション,
と括ってしまうと,味気ないが,たぶん原初の音楽の基本なのだと思うのは,あの叩くリズムは,身体の底から,何か熱く激しいものを呼び覚ます気がする。マリンバは,アフリカ発祥(シロホンとは起源を異にするらしい)だそうだから,マリンバとパーカッションが共演すると,気のせいか,音に厚みが加わる気がする。原始,お互い木を叩いていたのに違いない…!
それで思い出したが,かつて,LED ZEPPELINのジミー・ペイジが,ドラムの
ジョン・ボーナム
の死後出したアルバム『CODA』があり,そこに,
BONZO’S NONTREUX
という曲がある。全編ボンゾ,こと,
ジョン・ボーナム
がドラムス独奏である(他にはないのではないか,ドラムスだけというのは)。その圧倒的なパワーとそれだけで音楽の世界を創り出していく力に,ちょっとびっくりさせられた。彼の死で,ツェッペリンが活動休止に追い込まれたわけがよくわかる。
ドラムというもの,
あるいは,
打楽器というものの持つ意味が,強く印象に残る。
僕は音楽に造詣が深いわけではなく,素養もないので,過去の経験だけからいろいろ思い出すと,ピアノにも,そういう役割があるのを思い出す。
コルトレーンの『LIVE AT VILLAGE VANGUARD』で,「朝日のようにさわやかに」というおなじみの曲があり,ピアノのMcCoy Tyneri,ドラムスのElvin Jones,ベースのReggie Workmanの三人の,言い方をわるいが,大括りしてしまうと,打つ,弾(ひ)く,弾(はじ)くの違いはあっても,打楽器だけが演奏している時,ドラムスは,静かにブラッシュのみ。主役は,ピアノ。途中で,コルトレーンが入ってくると,とたんに,ドラムスが背景から躍り出る,という雰囲気で,ピアノから,役柄を奪い取る。
俺だぜ,このソックスに競えるのは,
というように,ピアノを後背に引っ込ませてしまう。即興のせいもあるが,ピアノとドラムスとサックスが会話しているのである。それは,今回,
レク同士の共演でも強く感じだが,共演というのは,
競演,
でもあり,強くお互いの会話が聞こえてくる気がする。あるいは,演奏者同士の技量の競い合いの要素もある。
やはり,背景に打楽器があるのとないのとでは,全体の緊迫感が違う。ひょっとすると,そういう緊迫した,演奏される世界の雰囲気をパーカッションは輪郭書きしているではないか,と妄想した。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
ラベル:マリンバ カーヌーン パーカッション レク コルトレーン 山下洋輔 鈴木未知子 松本ちはや 山宮英仁 マッコイ・ターナー ジョン・ボーナム レッド・ツェッペリン 朝日のようにさわやかに CODA
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