学ぶ
学ぶのは,
自分の伸び白を知る
ためだと思う。伸び白は,
あるのではなく,
見つける,
あるいは,
創り出す,
炙り出す,
ものだと思う。それは,自分の発見なのだと思う。発見というと,他人事だが,
自分を掘り起こす,
あるいは,
自分を膨らます,
といってもいい。風船に空気をいれるような感じ,というと少し危いか…!
では,何を学ぶのか,というとき,思い浮かぶのは,G.ライルの言う,
Knowing how
と
Knowing that
である。そのことを知っている中に,その「遂行の仕方を知っている」が含まれなければならない。なぜなら,前にも書いたが,能力というのは,
知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする)
出なければ,そのキャパは増えないと思うからだ。だから,ある意味,
そのことを知っている,
の中に,
そのことのやり方を知っている
が含まれ,入子になっているのかも知れない。そして,学ぶとは,
何を知らないかを知ること,
に他ならない。学ぶ前は,何が分からないかが分からないから,
何が分かっていないか,
が分かる。
まさに,
知れるを知るとなし,知らざるを知らずとせよ,これ知るなり,
である。あるいは,知るとは,
どうすればそれが得られるか,
という手段知をも手に入れることでもあるかもしれない。そのことによってパースペクティブが広がり,見える世界が変わる。向こうにまだ山が屹立しているのが見える。
学びて思わざれば則ち罔(くら)く,思いて学ばざれば則ち殆(うたが)う
僕は,学ぶことは,メタ・ポジションを手に入れることだと思う。学ぶたびに,俯瞰とまではいかないにしても,ものを見る視野が広がることだ。広がれば,ますます広く見たくなるのが人情というものだ。
そこにおのれの伸び白を見る。
如之何(いかん),如之何と曰わざる者は,吾如之何ともする未(な)きのみ,
である。
見えていないものが何かが見える,
それが伸び白である。あるいは,
知らないことが何かが分かってくる,
のでもいい。まだ,その心境にはいきつかないが,
これを知る者はこれを好む者に如かず,これを好む者はこれを楽しむ者に如かず,
に行きつけば,おのれの伸び白がまだあることに,喜び,学びに喜ぶかもしれない。しかし,まだ,知らないことに,愕然とする一方の日々だ。
参考文献;
ギルバート・ライル『心の概念』(みすず書房)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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