舞台
トークライブ【第1回 片岡宗橘が語る「近くて、深い」茶道の世界】に参加してきた。
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茶道家・片岡宗橘は,磐城平藩安藤家に伝わる、御家流の茶道。武家の茶の湯である。
茶の湯については,無知なので,まあ,勝手な妄想かもしれないが,今日お話を伺って感じたのは,茶の湯は,
場,
だ,ということだ。僕の言い方では,
土俵,
だ。そこに,場を設える,
花入・掛け物・香合・風炉・釜・建水・柄杓・火箸・水差…,
等々をそろえる。そこに,お客に合わせて,その日の花を差し,季節や光を勘案し,軸を改める。
その舞台装置全体が,亭主の出迎える心映えである。心映えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html
でも書いたが,
おのずから照りだす,
ものだと思う。心が映る,月光が水に映る,反映する,のように,心の輝きが,外に照り映えていく状態である。舞台装置がそれを示す。
だから,その舞台である茶室なしに,茶の湯の心映えは成り立たない,そんな気がした。
一客一亭
である。それは,同時に客も試されている。そのもてなしにふさわしい,振る舞いと心映えで応えられるかどうか。もちろん反照として,亭主も,また客に試されている。
それは,いわば,立ち会いに似ている。立ち会いは,その場での人と人の,技量ではなく,器量と器量の対峙である。小手先の技ではなく,その人そのものの対峙である。
それに似ている。
そういう向き合いをするべく,場として,その茶室が設えられている。
聞き間違いかもしれないが,
さしたるはわろし
という言い回しをされた。押しつけというか,わざとらしさは,もてなしではない。
もてなしは,
持て+成す
心を籠めて相手に御馳走することである。大事なのは,その心映えなのであって,
一期一会
もそれにつながる。千利休の弟子の山上宗二が,
一期に一度の会
ということを記していたらしいが,それを,井伊直弼が,
一期一会
として言語化した,と聞く。
あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう,
との趣旨だ。これも,心映えを言う。
以前片岡さんのお招きで,香道と,茶道のさわりを体験せていただいたが,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/393251223.html
そこで感じたのは,相手のもてなしに対応するだけのものがなければ,その心遣い,心扱い,心尽くしを,客は受け止めきれない,という歯がゆさだ。
相手のもてなしが,受け止め切れるには,それなりの心得と心構えがいる。
だから思う,
おもてなし,
は,公言するものではない。その心構えで,応対するという心映えのことだ。迎える側が,おもてなしなどというところに,ろくな店がないのと同然である。
意味を取り違えているかもしれないが,世阿弥の
秘すれば花なり,秘せずば花なるべからず,
の心映えに通ずるものである。まして,茶の湯のそれは,
茶室という舞台あってのものだと思う。そこに,趣向をさりげなく示す。おもてなしは,小手先ではない,おのれの心映えを表現した場づくりがどれほどのものか,さもなくば,こちらの不心得を,客に,見透かされるのが落ちだ。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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