2014年05月19日

次元


先日,江角健治さんの個展に伺ってきた。

http://gallery-st.net/

案内ハガキをいただいたときから,そこに載せられている絵の空間感覚が,気になっていた。今回は,ご自身の案内文にも,

街並み

をそろえられたということで,前回伺ったとき以上に,その印象が濃かった。会場で話をしているうちに,

押絵,

というように,僕の中であった空間感覚が言語化できた。

押絵というのは,

布細工の一種で,人物や花鳥の形を厚紙でつくり,裂(きれ)を押しつけて張り,その間に綿を入れて高低をつけて仕上げたもの。古く中国から渡来した細工技法で,正倉院の御物のなかにも祖型的なものが見られる。この細工は江戸時代に入って流行した。羽子板に応用したものを押絵羽子板といい,文化・文政ころから当時流行の押絵細工をとり入れて人気俳優の似顔などを写したものが登場した。そのほか手箱のふたや壁かけ,絵馬などにも用いられ,江戸時代には家庭婦人の手芸の一つとしておこなわれた。

と,ウィキペディアにあるように,いまだと,羽子板がイメージを浮かべやすいが,

押し絵により人気俳優などの有名人を模った羽子板

等々が描かれるのは,浅草の羽子板市でもおなじみだ。

面白いのは,ただの絵では立体感が出ないから,膨らませたのだと思う。

素人が言うのもおこがましいが,人間にとって立体に見えるものを,二次元平面に描くために,その制約を具象化する工夫として,たとえば,

遠近法(透視図法,透視法,線遠近法),

のような技法が考案され,何とか,絵に奥行きを出そうとした,と見えなくもない。

perspective

という言い方が,その意味をよく表しているように思う。それを前提にしないと,

キュビスム

の,一点透視図法へのアンチの意味がよく見えない。専門家ではないので,独断と偏見で言うと,これも,

二次元,

にいかにして,三次元,四次元を描こうか,という,二次元平面の枠を打ち破る工夫と見えなくもない。

で思うのだ。今回拝見して,

押絵

と感じさせる表現は,いわば,二次元に三次元(あるいは時間の流れも含めた四次元)を表現しようという方向とはまったく別に,

二次元の中で二次元として表現する,

工夫として見られなくもない,と感じたのだ。あえて,

押絵

として,デフォルメされた対象を,さらに平坦に,極端に,

奥行き

を消して,描くということの意味は,そういうことなのか,と僕は解釈した。

解釈など,絵には不要なのかもしれないが,僕は,

画家のパースペクティブ

を表現するのが,絵なのだと思う。

作家のパースペクティブ

を表現するのが,小説なのだから,そこには作家の見た(い,というか想像したい)世界が描かれる。画家の見た世界が,

押絵

として表現される,ということは,そこに,大袈裟な言い方だが,作家の世界観がある,と思う。

表現の世界は,自立しているので,押絵として世界を描いた瞬間,その押し潰された,というか,

次元を折り畳んだ世界,

に転換したことで,逆により自由に描ける世界が生まれてくるのだと思う。キュビズムが獲得した自由とは,まったく逆の,自由が得られているはずだと思うのである。

三次元を二次元世界で描く,

のではなく,

二次元を二次元世界として描く,というような。

ただ,今回,それは,逆に,

閉じ込められた世界,

というか,

閉ざされた世界,

になってしまっているように見えてしまった。それが何かは,僕の勝手な感想なので,僕にもよくわからないが,

表現が窮屈,

に見えたということかもしれない。

先日ネットで次元のことを調べていたら,ユークリッドは,

立体の端は面である。
面の端は線である。
線の端は点である。

と定義したという。つまり,立体以上はない,という前提だが,それを,ポアンカレはひっくり返して,点からはじめた,という。つまり,

端が0次元(点)になるものを、1次元(線)と呼ぶ。
端が1次元(線)になるものを、2次元(面)と呼ぶ。
端が2次元(面)になるものを、3次元(立体)と呼ぶ。
端が3次元(立体)になるものを、4次元(超立体)と呼ぶ。

とすると,五次元でも,六次元でも,無限に次元を増やしていける(超ひも理論では10次元が仮説として出されているという)。

折り畳めば,何次元でも表現できる,

押絵,

にそんなことを夢想した次第である。





今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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