2014年05月22日
嗜む
たしなむ,
という言葉の響きがいい。語源は,
タシナム(堪え忍ぶ)の変化,
だという。転じて,
深く隠し持つ,
常に心がける,
謹む,
遠慮する,
身辺を清潔にする,
有ることに心を打ちこむ,
といった意味になる,とある。ニュアンスは,嗜みは,
身につけておくべき芸事の心得を指し,「素養」よりも技術的な側面が強い,
とある。では,素養はというと,
日ごろから修養によって身につけた教養や技術を指し,「心得」や「嗜み」に比べ,実用面より知識に重きを置く,
とある。では,教養はというと,
世の中に必要な学問・知識・作法・習慣などを身につけることによって養われる心の豊かさを指す,
とある。どうも,心映えに関わる気がする。心映えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html
で触れたが,心ばえも,
心延えと書くと,
その人の心が外へ広がり,延びていく状態をさし,
心映え
と書くと,「映」が,映る,月光が水に映る,反映する,のように,心の輝きが,外に照り映えていく状態になる。心情的には,
おのずから照りだす,
心映え
がいい。つまり,内側のその人の器量が,外へあふれて出るよりは,おのずから照りだす,というのが,
嗜む,
というつつましさに似合っている。どうも,嗜みは,教養,素養,作法よりも,それをもっているとは言わなくても,そこはかとなく滲み出てくる,そんなニュアンスである。そういう,
自制,というか,慎みというか,節度,というか,謹む,とか,床しさ,
という感覚は,セルフブランディングがよしとされる今日にはそぐわないのかもしれない。
しかし,昔は一杯いた。落語の大家さんのような物知りではなく,影のように付きまとうものといっていいのか,それを,
品とか,
雅とか,
優とか,
というのだろうか。ひけらかすとか,見せびらかすのではない,そういう奥ゆかしさと,
嗜む,
とか,
嗜み,
というのはつながる気がする。
まあ,がさつで,無作法,品とか雅とかとは無縁な僕が,ないものを見て憧れる,そういう類のものかもしれない。いまどき,そんなものは,どこにもない,という気がする。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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