2014年05月23日

攻城


伊東潤『城を攻める 城を守る』を読む。

城には人格がある。信玄のいう,

人は石垣,人は城,

の意味ではない。建造物としての城自体に,縄張りした人物の人品骨柄,器量が出る。それが,攻城戦において,もろに出る。本書の面白さは,そこにある。

ただ連載物の単行本化のため,著者が断るように,

上田城,

がなかったのは,個人的には少しがっかりしたが,白河城から,熊本城まで,時代は異なっても,城ごとの人格は,攻め手側の人格との勝負でもある。

籠城は,後詰の援軍がなければ,ほとんど勝ち目はない。松平容保の会津城,豊臣秀頼の大阪城,荒木村重の有岡城,浅井長政の小谷城,島原一揆の原城等々,そうならざるを得ない仕儀にて,孤城の籠城になる。追い詰められてか,やむを得ずかはともかく,その瞬間,勝負は決している。その前に,切所はあった。そこに,将の器量の差が出る。

武田勝頼のように,長篠城を攻囲しつつ,織田・徳川連合軍を誘い出した。これは,信玄が二俣城を落とさず,家康を三方ヶ原におびき出したのと同様の,武田流の戦法だと著者は見る。

長篠城を囮にして信長と家康をおびき出し,「無二の一戦」に及ぼうとしたのではないか。むろん連合軍が後詰に来ないと分かれば,長篠城を落とせばいい。

と。しかし,結果は,設楽ヶ原で惨敗する。勝頼は,数年後,高天神城が徳川軍に包囲されたとき,後詰をせず,

これにより,勝頼の威信は地に落ちた,

という。攻めるだけではなく,味方の城が包囲されたとき,どういう姿勢を取るかは,味方は見ている。

秀吉の備中高松城包囲の際の,毛利の後詰,勝家の織田軍に包囲された越中魚津城への景勝の後詰等々。

直接的には,勝頼は,味方の後詰を怠ったことにより,離反が相次ぎ,自滅していった。

攻める側,守る側,ともにわずかな判断ミスが,致命的になる。

大阪城は,第四期の工事が,秀吉死後も続き,最終的には,八キロメートルにも及ぶ惣構堀に囲まれた,総面積四百万平方メートル,

という巨大な城で,難攻不落といっていい。二十万で包囲した家康軍も攻めあぐね,講和に持ち込むと,惣構掘,二之丸堀を埋め尽くし,本丸を囲む内堀だけの裸城にして,ようやく落とした。

攻め手と守り手の側の器量の差が,これほどはっきり出た攻城戦はない。いかな秀吉の器量をもってした築城した城といえども,守将の器量以上の働きはしない。

逆に,廃城となっていた原城にこもった島原一揆勢三万七千は,攻囲する幕府軍十二万四千を翻弄し,功を焦る,指揮官板倉重昌の強引な総攻撃を撃退し,板倉を始め四千四百もの死傷者を出し,一揆方はわずか十七名の死傷者にとどまるという,幕府側は完敗を喫した。

もちろん,その瞬間だけではなく,それまでの経緯抜きでは評価できないが,追い詰められて余裕のないはずの一揆勢に比し,後任の上使派遣を知らされて,功を焦らざるを得ない状況にあった板倉と,どこかにたかが百姓一揆と侮る気持ちがあった,その油断と隙は,攻撃側の乱れとなり,一揆側に衝かれた。それは,そのまま家格の低い板倉を上使として派遣した,家光の油断と隙,といっていい。実際,柳生宗矩が,その人事の危うさをたしなめたが,時すでに遅し,だったと言われている。

ほんのわずかな油断が,ぎりぎり対峙している両者の中に,隙間をつくる。

肥後半国十九万石を秀吉から拝領した加藤清正は,熊本城を築く。

城の周囲五・三キロメートル,本丸は総石垣,本丸に至る道は複雑に屈曲し,幾度となく櫓門をくぐらせ…築城当時,櫓四十九,櫓門十八,その他の城門二十九を数え,井戸に至っては,百二十余に達したという。

しかし築城されたのは,二百七十年前,銃砲主体の近代戦用の城ではない。しかも守り手は三千三百の鎮台兵,つまり農民兵である。攻め手は一万三千の,強兵薩摩軍。しかし,一か月の攻城も,抜けなかった。

大義ないまま,「暗殺の真偽を質す」という名目でたった薩軍は,十分の準備もないまま,

ただ剽悍な薩摩隼人を恃み,「軍を進め一挙に敵城を粉砕戦」という…,

無為無策での攻撃は,ただ無謀に千三百もの戦死者の屍を累々と積み上げただけだ。

攻め手の西郷隆盛の覚悟と守将谷干城の覚悟の差といっていい。私学校の暴発により,やむを得ず立たざるをえなかったにしても,その状況を主体的に変える立場に,西郷はいた。それを桐野にゆだね,状況に流されていった西郷に比し,谷は,持てる力をフルに使って,不利な状況を主体的に乗り切った。

将の差とは,状況の有利不利ではなく,もちろん守る堅城の可否でもなく,兵の強弱でもない。それを戦力にするかしないか,無駄な死にするかしないかは,かかって将の器量による,それは状況をどう主体的に乗り切るかどうかという,まさに将の才覚の問われる機会はない,そしてこれほど優劣のはっきりした戦力を,逆転した攻城戦はない。

それは,原城攻撃の板倉重昌にも言える。

参考文献;
伊東潤『城を攻める 城を守る』(講談社現代新書)




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posted by Toshi at 07:19| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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