2014年05月24日

快戦


中村彰彦『ある幕臣の戊辰戦争』を読む。

幕末,「四八郎」という言葉があったそうだ。

攘夷論者の清川八郎(庄内藩郷士),
北辰一刀流の達人,井上八郎(幕臣),
彰義隊副頭取の天野八郎(幕臣),
心形刀流の伊庭八郎(幕臣),

の四人である。本書の主人公,伊庭八郎は,旧幕府遊撃隊を脱走し,函館で死ぬ。

伊庭家歴代当主は,ただの幕臣ではなく,下谷御徒町にある心形刀流道場主で,神田お玉ヶ池の北辰一刀流玄武館,九段坂上三番町の神道無念流の練兵館,南八丁堀浅蜊河岸の鏡新明智流の士学館,と並ぶ,江戸の四大道場の一つであった。

伊庭八郎は,心形刀流の創始者伊庭是水軒から数えて,八代目,軍兵衛の嫡男であった。軍兵衛が急死した後は,一番弟子を宗家とし,養父のもと八郎は,道場経営に当たり,22歳で幕府に召出されるまでつづく。

道場は,当時門人数一千名以上。門人帳を綴じるのに,八寸の錐をあつらえたと言われるほどの盛況であった。

伊庭八郎は,身長五尺二寸,158㎝と小柄,しかし,

眉目秀麗,俳優の如き好男子,
伊庭の麒麟児,
伊庭の小天狗,

等々と称された。得意技は,諸手突き,同時代,突きを得意とした,鬼鉄こと,

山岡鉄舟,

と立ち会い,鉄舟を道場の羽目板まで追い詰めた,といわれる。この時分のエピソードに,牛込の天然理心流の試衛館の隠居(道場主が養子の近藤勇)周斎に,土方歳三とともに,小遣いをねだった,というのがある。八郎,歳三の両者が,ともに,五稜郭で戦死するのも,因縁である。

幕府に召出された八郎は,すぐに講武所剣術教授方に出役を仰せつかり,奥詰衆,つまり将軍親衛隊となり,将軍家茂上洛の際には,道中警護に当たる。第二次幕長戦の最中,家茂が死去し,多くの幕臣は,遺体を守り,東帰したが,八郎は大阪に残る。

幕府は,奥詰衆を遊撃隊へと編成替えし,銃隊編成とされ,小姓組,書院番組,新御番組を加えた,総勢590人に及ぶ部隊となった。

鳥羽伏見の戦いでは,上京を仰せ付けられた130人とともに,鳥羽街道の四ツ塚で,薩軍の銃砲にさらされる。幕府に勝る火器に圧倒される。

遊撃隊は「剣槍二術」と「銃術」を「兼習」する部隊だったはずだが,初めて実戦を経験するうちに剣客としての原点に立ちもどり,「剣槍二術」で戦うことを選択

する。それは遊撃隊だけでなく,会津藩も,新選組も,

抜刀斬りこみ,

を選ぶ。成果はともかく,伊庭八郎は,

薩将野津七左衛門(後の野津鎮雄陸軍中将)をして幕軍流石に伊庭八郎在りと嘆称せしめたと伝えられた

が,抜刀斬りこみ中,砲弾を胸に受け,卒倒する。ただ当時の砲弾は貫通力が弱く,鎧の胸甲にはじき返されたものの,その衝撃で血を吐き,昏倒するにとどまった。

海路江戸へ向かう途中脱走した遊撃隊三十人とともにあった伊庭八郎は,上総で,請西藩一万石の藩主林忠崇を巻き込み,徳川家再興を期して,上総義軍を立ち上げ,榎本武揚の軍艦「大江丸」の助力を得て,真鶴に上陸する。

この間,帰趨を見守る各藩,陣屋からの金穀,武器の教室を受けつつ,脱走遊撃隊は,270人に膨れ上がり,ミニエー銃470挺,大砲二門を備えた,洋式銃隊に変貌を遂げていく。

しかし期待した上野彰義隊も一日で,潰れ,新政府軍は,長州,鳥取,津,岡山四藩兵一千を派遣,箱根で激突することになる。

ここで,伊庭八郎は片腕を失う。

包囲された中で,腰に被弾,三人を斬ったものの,左腕手首近くを斬られ,結局左腕を失うことになる。負傷後,骨が突き出た状態になったため,肘下から,切り直しの必要が出たが,八郎は,

人,吾が骨を削る。昏睡して知らざるべきか,

といって麻酔を拒んで,手術を受けたが,

神色不変,

だったという。隻腕となった伊庭は,しばらく,江戸(東京に改称)でかくまわれ,左の片肘に銃を架して球を撃つ練習をしつつ,元年11月に,五稜郭の榎本軍に合流する。

今一度快戦をしたい,という思い,

言い換えると,死に場所を求めて,伊庭八郎は,函館に向かった。

土方歳三は,三分の一の兵力と,能力の劣るミニエー銃で敵を後退させ,

疾風の花を散らすに似たり,

と称された,戦死を遂げる。

著者は言う,

かつて近藤勇の養父周斎老人に小遣いをねだった伊庭八郎,土方歳三のふたりが,ともに快戦の夢を果たしてから死んでいった,

と。伊庭八郎26歳。土方歳三34歳。

戊辰戦争に当たって,というか,そこをおのれの切所としなければ,別にこだわりなく時代を乗り越えていくことができる。しかし,その状況を潔しとしなければ,それと戦うことになる。その切所は,一回とは限らない。最期は,たぶん,切所で戦うこと自体が,目的化していたかもしれない。しかし,そこで死したもの,生き残ったもの,いずれもその人の人生を使ったのであって,他人の人生ではない。

僕は,こういう人の生き方を見ると,これは武士だから,剣客だから,というのではなく,その人の生き方なのだとつくづく思う。

甘いと言われるかもしれないが,いったんその状況を引き受けた以上,それに(伊庭八郎,土方歳三のように)殉ずるのも,そこから(榎本武揚のように)離脱するのも,それなりに自分の選択だ。

会津戦争で生き残った,佐川官兵衛,山川大蔵は,西南戦争で官軍に参加し,佐川は戦死,山川は生き残った。

参考文献;
中村彰彦『ある幕臣の戊辰戦争』(中公新書)




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posted by Toshi at 07:17| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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