2014年05月28日

風景


安喜万佐子個展 「風景」 --に伺ってきた。

http://www.gallerycomplex.com/schedule/Hall14/yasuki_masako.html

「風景」というタイトルが気になっていた。

風景は,

風(季節のものが風に翻る)+景(太陽の光)

が語源とある。

風景は,光と風でなくてはならない。

風は,

とき(刻であり四季)

であり,

光は,

形象(ひろがり)

である。

僕は,絵は素人だから,逆に勝手に妄想する(自由がある)。

もともと風景は,

あるものではなく,

見つけるもの,

あるいはつくるものだ。その意味は,人が,

見る

ことで,風景になる。もともとある自然が,人によって,風景にされる。ということは,

風景には,風が,あるいは時間が不可欠だ,と感じた。

そんなことを道々考えていて,会場で,タイトルをすべて書き写そうと心に,何となく思い決めていた。

写しているときは,あまり意識しなかったが,振り返ってみると,

Vanishing point

Momentia

Absence

Obliteration

消えるとか不在とか喪失といったニュアンスの言葉がタイトルについていることが多いのに気づく。

つまり,光を(ということは影)を描きながら,実は,そこに不在を描いている。ないものが描かれようとしている。実は,肝心のものは,そこに描かれていない何か,であり,それは,




といっても,

いま

過去
といっても,

知覚

記憶
といってもいい。

で気づく。何のことはない。安喜万佐子個展には,

「風景」 -LANDSCAPE SUICIDE-

とあるではないか。その意味では,松林図シリーズを中心とした,

金箔の白抜き

でも表現されている。樹は,黄金色の光の中で,色を喪う。それは真っ白に抜かれている。そのシリーズが,象徴的な気がする。

圧巻は,正面に掲げられた,

Momentia

と題された,絵(170×300)だ。

作者は,パンフレットで,

逆光の中で,洛中洛外図のように遠近法を溶かしながら,都市はその「記憶」を瞬かせる

と書く。技法は知らぬので,洛中洛外図を思い出しながら,時空を超えさせる仕掛けの,「雲」に当たるのがこの車のヘッドライトのような光の点の塊り(群れ)なのかと思いつつ見ていた。因みに,洛中洛外図は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163511.html

で触れた。

しかし,僕は,そんなことを知らないでも,この絵には,



つまり,

とき

があると思った。それは,現と夢の混ぜ合わせか,過去といまの混ぜ合わせかは別にして,混合する,

とき,

が,ここにある,と見えた。さまざまな,

パースペクティブ

の交錯は,視界の交錯でもあり,思いの交錯でもある。人は,

見たいものしか見えない,

とすれば,ここには,人の数だけ,

とき

が,氷詰めされている,とみた。それを象徴させるのが,左上の,赤い炎とも陽の反射とも見えるものだ。これが,ときを象徴している。

対向に置かれていた,10年前の作品の,

無風

との差は歴然としていた。

僕は,「風景」という展覧会のテーマに引かれて,道々考えていたことは,

とき

つまり,



の表現であった。ある意味,不在の中に,消失として,それは描かれていた。しかし,もっと,ときそのものが見たいと感じながら,ちょっと疲れて帰り路をたどった。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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