2014年05月30日
知る
たしか,映画『たそがれ清兵衛』の中で,娘が,裁縫を習うのは役に立つが,学問をすることが何の役に立つか,と問うところがあった。そのとき清兵衛は,自分の頭で考えることができる,という趣旨のことを答えていたと記憶する。
考えるについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/389704147.html
で触れたので,ここでは,知る,ということを考えてみたい。
知るには,語源的に二説ある。
ひとつは,
「シルシ(著し)」で,はっとはっきりわかるから,シル(著る)
という説。つまり,腑に落ちるというか,理解する,ということだ。いまひとつは,
心を占領する(領る),つまり占る,
だという。つまり,ある現象・状態を広く隅々まで自分のものにする,という意味だ。
学は思に原(もとづ)く
とはそういう意味のような気がする。
学びて思わざれば則ち罔(くら)く,
とはそのことだ。
それで思い出したが,前にも書いたことがあるが,
ライルが,知(ってい)る(knowing)には,
Knowing that
と
Knowing how
があると言っていた。
Knowing thatとは,
~ということを知っている
というこであり,
Knowing howとは,
いかに~するかを知っている
ということになる。ここで,清兵衛が答えたのは,前者の意味だ。それは,違う言い方をすると,
Knowing how
の持っている意味を知っていることこと,と言い替えていい。つまり,
メタ知識
である。現実にいま,われわれが直面しているのは,
解き方のわからないこと(問題,事態),
ではなく,
意味の分からないこと(問題,事態),
であり,それを解明することが,まさに考えることなのだといっていい。だとすると,そのときわれわれが,使えるのは,アナロジーなのではないか,と思う。
問う、如何なるか是れ、「近く思う」。曰く類を以って推(お)す
のと同じである。いわば,アナロジーというのは,自分の既知のものを,
異質な分野との対比を通して,
理解することといっていい。
例えば,Aを,それに似たXを通して見る(理解する)というのは,
・Aの仕組みをXの仕組みを通して理解する
・Aの構造を構造を通して理解する
・Aの組成をXの組成を通して理解する
・Aの機能をXの機能を通して理解する
等々。アナロジーで見たいのは,見えない関係を,「~を通して」見ることで見つけることである。
アナロジーは,次の2つにわけることができる。
●類似性に基づくアナロジーを,「類比」
●関係性に基づくアナロジーを,「類推」
前者は,内容の異質なモノやコトの中に形式的な相似(形・性質など),全体的な類似を見つけだすのに対して,後者は,両者の間の関係を見つけ出す。特に関係性が重要なのであるが,これには,次の2つのタイプがある。
・両者の構成要素のもつ関係性からの類推
・両者の関係から生み出す全体構造の類推
以上のことから,アナロジーによる理解には,次の3パターンがある。
・全体に関係が似ているものを見つける
・部分からつながりを見つけ,そこから逆算して関連するものを吸引する
・部分と部分の関係の断片から全体像を見つける
アナロジーのように,既知と未知について,こういう操作をしているということは,メタ・ポジションをとっていることといっていい。つまり,自分の既知と未知とを俯瞰していくメタの位置である。
知るとは,究極,
Knowing that
なのだが,知れば知るほど,
パースペクティブが深まる,
のは,結局,メタ・ポジションが,どんどん高くなっていく,言い換えると,
俯瞰する世界が広く大きくなっていくこと,
に他ならない。
博く学びて篤く志り,切に問いて近く思う,
知は,その中にある,
である。
参考文献;
G・ライル『心の概念』(みすず書房)
佐伯胖監修『LISPで学ぶ問題解決2』(東京大学出版会)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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