心が折れる
心が折れる,とは,
諦めるや挫折といったような心境
を意味するらしい。
最近使われ出した。印象深いのは,イチローが使ったのだが,元祖は,女子プロだという。
折れる
とは,
曲って二重になる,
曲って,二つに別れ離りる,
道などを曲がる,
挫ける,気勢を削がれる(腰が折れる)
主張・意見を和らげ,相手に従う
ものごとに苦労する(骨が折れる)
とあって,いまのような使い方の「 心が折れる 」の含意がなくはないが,
勢いがそがれる
というニュアンスで,いまの言い方とは微妙に違う。
女子プロで使っていたのも,ウィキペディアでは,
相手の心を折ることだった。骨でも,肉でもない,心を折ることを考えていたんで,相手を痛めつけようとは思っていなかった。本当に相手を痛めつけることなんか,目的じゃなかった。柔道やってたから,勝負に負けるときっていうのは,最初に心が折れるってこと知ってた。
という言い回しだったらしく,
再び立ち上がろうとする相手選手の気力を萎えさせ,奮い立つ気持ちを煮えさせる,
という意味だということができる。その意味では,
気勢を削ぐ,
の延長線上で,別に特に新しい言い方とは言えない。しかし,格闘家にとって,
腕を折られても心が折れなければ負けではない,
どんなに敗北だとされても,自分の心が負けを認めるまでは闘争は続く ,
という敢闘精神というか,
心が負けない,
の意味だとされるから,少し意味がシフトしていなくもない。ダメージが,
精神(こころ)
に及んだ状態,ということだと,削がれるというよりは,
挫ける,
という意味になっている。その延長線上で,「心が折れる」の現在の使い方は,
懸命に努力してきたものが,何かのきっかけで挫折し立ち直れなくなる状況,
と解説される。たぶん,それを決定的にしたのは,イチローの,WBCでの,
ほぼ折れかけてた心がさらに折れて,
という言い回しだったらしい。しかし,この経緯をみると,心が折れるには,それなりの背景が必要で,ただ,
めげる,
落ち込む,
凹む,
ギブアップ,
という気分とは違うような気がする。文脈の中で,自分が最早どうにもならないほど,自分の力の限界を思い知らされて,完膚なきまでに,打ち負かされた状態,
失望
と
絶望
の差くらいの隔たりなのではないか。それなりの,
努力と精進を経て実力を養ったものにだけ使える言葉,
という気がする。とっさに思い浮かんだのは,武田信玄の挑発に(に乗らざるを得ない状況で,あえて)乗って,三方ケ原で,完膚なきまでに,まさに鎧袖一触,弾き飛ばされて,恐怖で自分の糞尿に紛れて,浜松へ逃げ帰った,松平家康の心境こそ,それにあたるのかもしれない。
しかし,そのおのれの醜態を,そのまま自戒の意味で肖像画として描かせたあたりが,家康の家康らしいしぶとさなのかもしれない。その意味で,
心が折れた,
と言っている人は,(イチローも振り返ってそう言っていたように)そういう自分の追い詰められた状況を,メタ・ポジションから見るもう一つの目をもっている。あるいは,だから,
折れた,
のではなく,
折れかけた,
と言ったのかもしれない。心の折れ切った人は,心が折れた,などとは言わない気がする。その意味で,軽々に,凡人が,
心が折れる,
などという言葉を使ってはならないのかもしれない。
と書いてみて気づいたが,
こころが折れる,
と
心が折れる,
と
精神(こころ)が折れる,
とでは微妙に異なるのではないか。
精神(こころ)が折れる,
は文字通り,おのれを失うに近いニュアンスな気がする。自分の骨格をなす精神そのものが木端微塵にされたような。だとすると,それを認めるおのれがいる。だから,こうなのではないか。
心は折れる
が,
精神(こころ)は折る
ものだ,と。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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