2014年06月06日

甲斐



「かい」とは何だろう。

甲斐は,

行動の結果として現れるしるし。努力した効果,
期待できるだけの値うち,

とある。

甲斐は,

甲斐,
詮,
効,

を当てる。しかし,

甲斐がない,

詮がない,

効(目)がない,

では微妙に違う。

詮は,「はかり」の意味で,

物事の道理を明らかにとく,
物事の道理が整然と備わっている,
言葉や物事をきれいにそろえて,よいもの,正しいものを選びとる,
煎じ詰める,結局,
詳しく調べる,
なすべき方法,

と,ある。しかし,

甲斐性,
生き甲斐,
やり甲斐
年甲斐,
甲斐がある,
甲斐甲斐しい,

という使い方から見ると,「甲斐」には,

ただの効き目や効果やその測定だけではなく,

値打ちの有無,

のニュアンスがあるような気がする。語源的には,

かう(支う)の連用形。大工の「支う(かう)」では,「こんな細い棒ではカイ(支え)がないのと一緒」

という。とっさに浮かぶのは,突っ支い棒。そこでいう,「支い」と同じではないか,と思う。

かう(替う)の名詞化という説もあるが,そこからも,代価,代償,値打ちの意味が,確かに出てくる。

生きる(た)値打ち
やる代償

と解釈は可能になるようだ。

しかし,値打ちには,自分にとっての意味という部分と,ひと様から見ての意味の部分と二つある。甲斐というとき,その両方のニュアンスがある。

自分から見ると,値打ちだが,
相手から見ると,手ごたえ,張り合い,になる。

いや,

相手からの手ごたえ,張り合いが,
自分の値打ちを確かめるものになる,

とも言える。自分の甲斐が,相手に影響し,その影響が自分に反照する。結局,

甲斐,

は自己完結するのではなく,人との関係のなかで,影響し,反照する中で,強められるのかもしれない。

自分の自己対話の中では,甲斐は,張り合いのない,甲斐のないものなのかもしれない。それと,

行動の結果として現れるしるし,

という言い方からすると,一瞬のそれを測っているのではなく,積み重ねた結果を言っているようでもある。

そこにある,それ自体に,それまで生きてきた歳月の重みがあるのか,

そこで,このまま,生きていく値打ちがあるのか,

と。その歳月が,

馬齢,

なるかどうかは,自分の甲斐次第,ということになる。いや,そういう,照らし,照らし返される関係そのものの積み重ねの中で,

年甲斐

も生まれるのではないか。


参考文献;
北山修『意味としての心』(みすず書房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:24| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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