2014年06月23日
ヒマ
暇だな,と思ったとき,では暇ってなんだ,と疑問がわいた。
ひまは,
暇,
閑,
隙,
の字を当てる。「すき」との差はあまりない。同じ字を当てる。語源的には,
ヒ(すいたところ)+マ(すきま)
とあり,空間的なヒマから時間的なヒマへと変化した,という。ただ,中国語では,
暇
は,隠れた価値をもつ時間という意味で,
日+瑕(未加工の玉)
という。国語辞典的には,
①物と物とのあいだの透いたところ
②継続する時間や状態の途切れた間
③仲の悪いこと
④仕事のない間,手すき
⑤都合の良い時機,機会
⑥何かをするのにかかる時間,手間
⑦雇用,主従,夫婦などの関係を絶つこと
⑧一時的に休むこと,休暇
⑨(多く「おいとまする」の形で用いる)別れて去ること。また、そのあいさつ。辞去。
⑩喪に服すること。またそのために出仕しない期間
⑪ある物事をするのに空けることのできる時間
等々がある。隙間については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/392660201.html
で触れたが,
空いた時間というのは,ある意味ニュートラルなのだが,そこに,隙間としての意味を加えると,
切り離す,
別れる,
喪,
と言った意味にもなるし,
好機,
手間,
余裕,
にもなる。本来ニュートラルなのだから,
ヒマが明こうが,
ヒマを潰そうが,
ヒマを出そうが,
ヒマを欠こうが,
ヒマを取ろうが,
ヒマを盗もうが,
ヒマに飽かそうが,
ヒマをやろうが,
それ自体に是非も可否もないはずだか,その隙間に,こっちから,あるいは,相手から,意味つげされると,その隙間自体が意味を持ってくる。
ヒマを見て,
ヒマな折に,
ヒマを弄んでもいいはずなのである。しかし,「マ」,つまり,
間(ま)
ととらえると,プラスのというか,積極的な意味になる。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/395727101.html?1398628507
で触れたし,これを,
間合い,
と更に意味づけすると,もっとその「ヒ+マ」の意味が変わる。これについても,
http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20130908-1.html
で触れた。隙間の距離を,
隔てととるか,
距離ととるか,
間ととるか,
で,こちら側の見る位置が違う気がする。間の中に即自的にいるか,対自的にいるか,間を対象化するか…。
自分との間
か
人との間
か
自分の振る舞いとの間
か,あるいは,
自分の人生との間
か…,
こんな文章を見かけた。
「生きがい」をもとめるという動機の観点から注目すべきは,人とは生き甲斐や意味を求めるいきものだという人生観は人が空洞や空虚であることを前提としており,どれほど独創的で価値の高い自己実現であろうとも,生きがいや自己充実とは空虚のひとつの防衛手段であり,生きるための意味を求めるのは無意味の防衛であり,人生の目標も目標喪失の自己防衛だというわけなのです。
こういう言い方もある。本来,たかだか百年足らずという人生の,一瞬の光芒を,闇と闇の隙間,と呼んでもいい。
しかし,その当事者としては,意味のない時間とは思いたくないから,一生かけて,意味を見つけようとする。
それも,本来ニュートラルなヒマのひとつに過ぎない。
といっても,自分とっては,
日+瑕
なヒマではある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
北山修『意味としての心』(みすず書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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