2014年07月05日

経済視点


武田知弘『「桶狭間」は経済戦争だった』を読む。

信長の政策を経済面に焦点を当てている。その面で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/400155705.html

の,戦国大名の鉢植化の背景を理解するのには好都合ではある。表題は,桶狭間となっているが,それだけを掘り下げたわけではなく,ただの入口,後は,武田,上杉,毛利などの戦国大名との対比。少し突っ込み不足は,新書の限界として諦めるとして,

桶狭間の戦いが知多半島をめぐる戦い,

という仮説は,面白い着眼には違いなすが,まだ論証が足りない気がする。

知多半島とその周辺地域というのは,実は商工業において重要な地域だった…,

とする根拠が,

知多半島の窯業,

つまり常滑焼の生産地だった。常滑焼というのは,当時の全国的な陶器ブランド,

というのは,どの程度確かなことなのか。日用雑器としての土器にブランドがあったのかどうか,その他の窯業地との比較,他地域の例示等々がないまま,

知多半島の窯業は,12世紀ごろからさかんになったとされ,本州,九州,四国の多くの中世の古墳群から土器が発見されている。(中略)中世の遺跡から知多半島の土器が発見されていないのは,本州,九州,四国の中ではわずか二,三県である。つまり,中世から知多半島の土器は日本全国に流通していたのである。知多半島は,中世から日本最大の土器生産地域であり,もっといえば中世ではにほん有数の工業地帯だったわけだ。

と言われても,にわかには信じられない。いや,経済視点を除いて,地政学的にこの地域に意味があったのではないか,という他の視点の検討抜きでは,どうもいまひとつ説得力が欠ける。

ところで,信長が,津島を抑え,経済力を持っていたことは,通説である。謙信が直江津,柏崎の関税収入だけで,

年間四万貫,

だいたい三十万石の収入に匹敵する,ということから,その二つの港よりはるかに栄えていた津島からは,

三十万石

以上の収入があり,遠江,駿河,三河,終りの一部を支配する,百万石の今川義元と,尾張一国約六十万石と,津島の収入を合わせると,ほぼそれに匹敵し,動員兵力は,

ほぼ互角

だったのではないか,という話は,説得力がある。その証拠に,最近発掘されつつある清州城は,

南北2.7キロ,東西1.4キロもの惣構えをもつ巨大な城下町だった。あの大阪城にも匹敵するものだった,

という。そう考えると,織田対今川の軍勢,

二千対二万四千

というが,実勢は,織田方は一万近く,しかも,義元本陣は,四,五千,別に奇襲しなくても,十分勝てる計算になる,という理屈である。

さて,その信長の経済政策の画期を,整理しているところが分かりやすい。

一つは税制,

本年貢以外の過分な税を徴収してはいけない,

関所の税を課してはならない,

という信長の指示が残されている。それも,収穫高の三分の一と,江戸時代に比しても低い。それに対して,武田は,土地の貧しい甲斐のせいもあるが,度重なる重税,棟別税,後家役まで課したのと好対照である。

第二は,貨幣納税の貫高制から,米での納税の石高制に変えたこと,

これも換金のための農民の負担を減らしている。

第三は,金銀を貨幣として設定したこと。ここでは,

金と銀,銅銭の交換価値が明確に定めてあり,史上初めての試み。

という。

第四は,検地。それも,かなり細かな歩の単位まで,実測していたと言われる。このことが,大名を鉢植化することになるのだが。

第五は,楽市楽座。多く寺社が座の後ろ盾になり,冥加金をとるという既得権益になっていた。それは一種の価格破壊につながる,と著者は言う。

安土に楽市楽座をつくれば,畿内にある「座」は大きな影響を受ける。安土に売り上げを奪われないために,価格競争をせざるを得なくなる。

結果として,京都の座は消滅していく。

第六は,枡や単位の統一。このことは,関所の撤廃と同時に,物流の革命をもたらす。

第七は,インフラ整備。関所の撤廃と同時に,道路をつくる。『信長公記』には,

入り江や川には,船橋を造り,石を取り除いて悪路をならす
道幅は三間半(6m)とし,街路樹として両側に松と柳を植える

等々を指示したとある。

傑作は,安土城を一般公開したことだ。これは,以前も以後もあり得ない。しかも,大勢が押し寄せたため,百文を徴収したという。

こうした信長の視界に,全国があったことが分かると同時に,自分を遥か高みにおいて,戦国武将どころか,天皇も,自分の眼下においていたように思えてならない。

最後に苦言をひとつ,

足利義昭を,「義輝」と誤植するのは,まあ勘違いとして許されるとしても,その後,今度は,武田義信が出てきて以降,再三,義昭を「義信」と誤植するのは,いくらなんでもいかがかと思う。誤植の多寡は,出版社の格をしめす,とはよく言うが,そういうものだと思う。昔,先輩が,一冊の単行本を上梓して,

ひとつ誤植があった,

とひどく悔やんでいたのを思い出す。それは,編集者の矜持でもある。


参考文献;
武田知弘『「桶狭間」は経済戦争だった』(青春出版社)




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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