品位とか品格とか品性という使われ方をする,

品について,調べていると,

音自体で,

ヒン(漢)
ホン(呉) 
しな[訓]

と分かれ,たぶん伝来(当然時代も違うが)によって,由来が異なるらしい。当然意味が少しずつ違う。

語源では,中国語源では,

器物を並べる

で,品物の意味とある。

当然,品にちなんで,

物や人の質によって分けた等級
等級をつける

ということが派生する。「ほん」と呼ぶのは,仏典かららしく,等級以外に,

仏典の中の編や章

という意味がある。

品位,品格,気品,下品,上品,人品

というのは,言ってみれば,人を品物に見立てて,その等級づけをしている,というに近い。品評である。

しかし,それは誰が評価するのか。身分社会なら,位階の高いのが,上品,と一応は言えることになる。

下賤だの下卑だのというのは,下に見てそう言う。しかし,仏教でいう,

ほん

は,極楽往生する者の能力や性質などをに分ける語。上中下の等級に分け,さらにそれぞれを上中下に分ける,という。

九品

くほんである。しかし,それを,理不尽ではないかと思うのは誰もがそうで,

九品皆凡といい,一切衆生は本質的にみな迷える存在であると捉えた浄土宗の流れは,必然で,その果てに,親鸞の,

善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや

は,僕には,往生の位階を破壊したアナーキズムに見える。信心深いとか,篤いから救われる云々は,こちらの計らいなのであって,絶対他力の前には,意味をなさない。ただ,計らいを捨てて,

他力には義なきを義とす,

である。清澤満之が,

天命を安んじて人事尽くす,

と言った言葉がそれを示す。

人事を尽くして天命を待つ

で,どこかに驕りがある。我欲がある。しかし,

天命を安んじて人事尽くす,

には, 丸ごと受け入れている感じがある。

そう見れば,氏や育ちは,言い訳にしかすぎず,品は,

いまの生き方そのもの

を指す,というしかない気がする。それは,

いま,ここに,生かされてある

おのれを受け容れて,立っている,という気構えではないか,という気がする。

そこが,なかなか。




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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