2014年07月14日
店仕舞い
店仕舞いというのは,開店というか,店を張るよりもはるかに難しいと思う。店仕舞いは,例えば,僕には経験はないが,定年退職とは違う。転職の退職とも違う,と思う。後始末ということではないのだ。
そのことについては,し残したことについて,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/392762774.html
で触れた。しかし,これとも少し違う。
昔コーヒーショップをやっていた時,居抜きで買ってくれる物好きがいたおかげで,投資分は返ってこないまでも,かろうじて赤字にならないで,店を閉めた。その店仕舞いでも,なじみ客との関係は,けりのつけようのないものがある。
まして二十年以上も店を張っていると,はいさようならとはいかない,という面はある。たとえば,スケジュールは,再来年まで決まっていく,とすると,一年半以上前までに決めなくてはならないという面がある。
しかしここで言いたいのは,それでもない。ここで店仕舞いするというのは,
どう見切るか,
ということだ。昔,知り合いの講師が,客先で仕事中倒れて,そのまま帰らぬ人になったと聞いたことがある。そうならないところでどう見切りをつけるか,である。
自分の出来る,やりたいという思いを,どこでなだめ,断念させるか,ということだ。
単に健康のことだけを言っているのではない。
店
というのは,語源は,「見せ」。ミセともタナ(棚)とも言う。「广(ゲン,家)」に「占」(テン,ものを置く)が中国語源。
しかし,仕舞うは,確かに,「シマウ」で,片づける,収納する,の意だが,
仕舞
は,素(装束をつけない)+舞
なのだという。つまり,
仮面や衣装なしの舞い,
ということになる。いやいや,なかなか意味深である。
素
とは,「しろ」であり「もと」であり,「はじめ」である。意味としては,
撚糸にする前の基の繊維,蚕から引き出した絹の原糸
とか,
模様や染色を加えない生地のままの,白い布
等々,下地とか地のままとか生地とか元素といった意味合いが強い。
横道にそれるようだが,それで思い出した,大塩平八郎,いわゆる大塩中斎は,諱を後素と言った。これは,『論語』の,
絵の事は素(しろ)きを後にす,
から来ているという。このとき,この孔子の言葉を受けて,子夏が,
礼は後なるか,
と言い,孔子に,
始めて与(とも)に詩を言うべし,
と褒められた,とある。古注では,
絵とは文(あや),つまり模様を刺繍することで,すべて五彩の色糸をぬいとりした最後にその色の境に白糸で縁取ると,五彩の模様がはっきりと浮き出す,
と解すると,貝塚茂樹注にはある。しかし新注では,
絵の事は素(しろ)より後にす,
と読み,絵は白い素地の上に様々の絵の具で彩色する,そのように人間生活も生来の美質の上に礼等の教養を加えることによって完成する,と解する。どちらが正しいかは知らないが,朱熹の注釈は少しお為ごかしに過ぎる気がする。
しかし大塩の諱の由来は,新注によった,とみられるらしい。
ま,読みの是非はともかく,新注では,素地,というものに教養で上塗りする,その上塗りの仕上げ次第というように読める。あるいは,古注でも,仕舞いの仕方,というか仕上げが重要,ということになる。しかし,
素舞
の「素」というのは,その仕上げた「素」をいうのか,生地の「素」を言うのだろうか。
上塗りの最たるものは,社会的役割だ。
人は,社会的役割を降りても,おのれをやめるわけにはいかない。いつ,衣装と仮面を脱ぐか,というふうに考えると,この問いに焦点が当たる。
おのれの人生の舞台,
を降りることはないが,役割は降りる。そこで「素」が,結局問われる。。
社会的役割については,前にも触れた気がするが,
社会的役割は,もっぱら他者の期待にもとづく意味でも,もっぱら自己の認定に基づく意味でもなく,両者の相互作用の結果として多かれ少なかれ共有される,
したがって,
主体は,他者との相互作用において,自己にとっての意味に応じて他者に役割を割り当て,その役割と相即的に対応する自己の役割を獲得する,つまり,相互作用は,すべて役割関係なのである,
という。ぶっちゃけて言えば,
お互いが関係する中でしか役割は生まれない。つまり,役割を降りるとは,
お互いの作り出していた関係
から離脱するということだ。
結局,上塗りしたメッキの剥げた
素地
というか,化粧ののらなかった
地肌
というか,後は,その素で舞うほかはない。最後は,おのが素地次第,と言えなくもない。
しかし,思うに,素地は,昔のままの素地であるはずはない。化粧やけ,というか,白粉やけで,素地自体が変色しているかもしれない。仮面も長くかぶりつづければ,痕がつく。そのことに気づいていないかも知れない。
だから,(おのれを)見損なう。
結局,その意味も含めて,仕舞いでしかないのだろう。
参考文献;
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
宮城公子『大塩平八郎』(ぺりかん社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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