松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』を読む。
昨年刊行されたものだ。もはや時機を失したか,と悔いつつ,失いつつあるものの大きさに思い至る。
はじめにで,著者はこう書く。
「九条と軍事力の関係が相容れないという点では,護憲派と改憲派は共通している…。だが私は,この既成事実に挑戦することにした。護憲派にも軍事戦略が必要であると考えるにいたった。」
と。その意味では,本書の主張は,堂々の議論と,国民全体のコンセンサスを経るという,改憲プロセスを念頭に置いての論旨というふうに考えられる。しかし,議論も討議もないまま,泥棒猫のようにこそこそと既成事実を積み重ねて,実質改憲を果たし,集団的自衛権の行使を可能とし,武器輸出三原則を放棄し,あろうことか,イスラエルと共同開発まで踏み込むとは,著者の予想を超えている。
おそらく,今後,いままでの対米従属の政治路線からは,アメリカの戦争に従属従軍し,いまそうであるように,イスラエル側に加担し,アラブを敵に回すことになるだろう。ついこの間,3.11のために祈ってくれたガザの子供たちのことは報じられないまま,その子供たちが戦車に蹂躙されているのを,黙認している日本政府の行動は,世界に,日本のポジションを明確に語っている。
では,われわれは,一体何を喪おうとしているのだろうか。
九条のもと,専守防衛を旨としたきたが,それは,
「専守防衛とは相手からの武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し,その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限度にとどめ,また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど,憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略をいう…」(大村防衛庁長官 参議院予算委員会 81.3.19)
つまり,
日本側が反撃を開始するのは相手から武力攻撃を受けたときであり,
その反撃の態様は,自衛のための必要最小限度の範囲にとどめ,
その反撃をする装備も自衛のための必要最小限度
というものである。これに合わせて,自衛権発動の三要件というのがある。
「憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の発動については,政府は,従来からいわゆる自衛権発動の三要件(我が国に対する急迫不正の侵害があること,この場合に他に適当な手段のないこと及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)に該当する場合に限られると解している」(参議院決算委員会提出資料 72.10.14)
「他に適当な手段がない場合」を除くと,専守防衛の要件と重なっている。この趣旨は,
「外交交渉とか経済制裁などで相手国の侵略をやめさせることができるならそうすべきであって,武力で自衛するのはそういう手段ではダメな場合に限る」
という意味である。
こういう専守防衛の考え方を,
九条にしばられている
故,と考えるのは,的外れである,と著者は言う。
「そもそも自衛権という概念は,憲法九条で発生したわけではない。武力行使を禁止する国際法が発展するなかで,その例外措置のようなかたちで生まれたものである。武力行使は違法だが,自衛の場合は違法性が阻却されるという考え方である。」
それは,アメリカ独立戦争時を嚆矢とし,当時のアメリカのウェブスター国務長官のイギリス側への書簡がある。
「英国政府としては,差し迫って圧倒的な自衛の必要があり,手段の選択の余地がなく熟考の時間もなかったことを示す必要があろう。加えて,…非合理的もしくは行き過ぎたことは一切行っていないことを示す必要があろう。自衛の必要によって正当化される行為は,かかる必要性によって限界づけられ,明白にその範囲内のものでなければならない…」
これは今では「慣習法として定着したといわれている」として,著者は,
「国際法上の自衛権とは,憲法九条のもとにおける自衛権の三要件とほぼ同じなのである。日本は憲法九条があるから自衛権さえ制約されているというひとがいるが,自衛権発動の要件は,日本も外国も変わらないのだ。」
と言う。この慣習法とは別に,国連憲章第五十一条が,自衛権発動について,
第一,各国が自衛権を発動できるのは,(国連安保理が)必要な措置を取るまでの間に限定されること
第二,各国が自衛措置を取った場合,安保理に報告しなければならないこと
第三,自衛権が発動できるのは,武力攻撃が発生した場合に限定したこと
の三つの制限を設けている。第三項は,英語だと,現在完了形ではなく,現在形である。つまり,
「自衛権の要件を厳守することは,九条のある日本だけの制約ではない」
ということを,著者は強調する。
そして,むしろ,いままでの日本の姿勢が,世界的には武器になってきたのだと,次の二点を象徴として挙げる。
第一は,武器輸出三原則
第二は,集団的自衛権行使の制約
武器輸出は,かなり緩和されてはきたが,それが功を奏したのは,
国連軍備登録制度
制定である。
「その資格を持った国がひとつ存在した。武器を輸出してこなかった日本である。日本はこの制度を創設するために,『軍備の透明性』と題する国連総会決議の案をもって各国を説得し,調整し,最終的に決議の採択にまで持ち込んだのである。」
これが果たせたのは,武器輸出三原則があったからである。武器規制に関しては,
世界的に注目されている
のは,もはや過去のことだ。三原則は,
防衛装備移転三原則
に変え,武器見本市に初参加し,防衛副大臣が,ライフルを構えていた写真が配信された。もはや,政府は武器商人の露払いになっている。
いまひとつは,言うまでもなく,集団的自衛権である。日本が海外で殺傷行為をしていないというイメージは,世界的には確立していた。そのことではたせる役割はあったし,ある。しかし,もはや,その意味で,「普通の国」と成り果てた。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401642428.html
で触れたので繰り返さない。
このつけは,集団的自衛権を行使した瞬間,日本が攻撃の対象となる,ということを意味する。それは,対アラブならば,日本国内のどこかが無差別テロの標的になる,ということにほかならない。
まだ間に合うのかどうかは,もはや微妙であるが,本書の掲げた「九条をバックとした軍事戦略」は,実質的に,不可能になりつつあることだけは確かである。
参考文献;
松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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