2014年07月25日

諦める


諦めるは,以前,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163539.html

で書いたことがあるし,諦めるに似た,「心が折れる」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/398404438.html

で触れたことがある。

語源的には,前にも触れたが,

明らめる(明らかにする)

である。

明ら+む

で,

先を明らかに見て,否定的に悟る

の意味。まあ,

先々を見通して,だめだと見込む。思い切る,断念する,

の意味になる。

仕方がないと,思いを断ち切る,

とする辞書もある。しかし,もともと,



の字は,

詳らかにする
明らかにする
いろいろ観察をまとめて,真相をはっきりさせる

という意味で,いい意味では,仏教用語の,

悟り

になる。その場合,見通しが真相なら悟りになり,



と同系とあるので,

締めくくる,という意味にもつながる。本来,「諦」の字に,悲観的なニュアンスを見てしまうが,本来の意味からすると,

詳らかにする
明らかにする
いろいろ観察をまとめて,真相をはっきりさせる

には,悲観のニュアンスはないのではないか,という気がする。漢和辞典の熟語では,

諦観

も明らかに見る,だし,

諦思

は,詳らかによく考える,だし,

諦視

は,明らかに見る,だ。それが,わが国では,

あきらめる

に変じた。古語辞典をみても,「明らむ」は,

はっきり見る
(こころを)晴らす
事情・理由をきわめる

という意味しか出ていない。『大言海』をみると,やはりそうなのだが,

明らむ

の次に,

あきらむ

とあり,

詳らかに見極む
理由を究め知る

とあって,「明らむ」の

明らかに見る

の転じたものとある。その次に,

あきらめ  思いを立つこと
あきらめる 思い切る

と載る。屁理屈のようだが,

見きわめた結果,

が,転じて,断念の意味にシフトしたということなのだろう。しかし,悲観のみにシフトしたのは,ひょっとすると,勝手な妄想だが,浄土思想の蔓延していた,平安末期なのかもしれない。見きわめれば見きわめるほど,この世に展望が開けない,というように。でなければ,悲観一方へシフトしきったのがよくわからない。

しかし,何を諦めるというのだろう。




人生
志,
未来,
理想,
自分,
才能,
希望,

しかし,見切ったと思った瞬間,その思いを裏切るように,何かが涌き出てくる。自殺するのであっても,おのれの死そのものにも,何らかの仮託がなければ,そもそも死なないだろう。死ぬことで,得られるものがあるのだ。

楽になる
苦からの解放
極楽浄土
厭離穢土,欣求浄土
救済

いつも,何かを仮託する。せざるを得ない。ということは,

見切りながら,見切った先に別の何かを見ている,

ということになる。

明らむ

とは,まさにその意味かも知れない。




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 04:53| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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