2014年07月28日
志
正直,無知をさらけだすようだが,
志
は,士+心と勝手に分解していた。恥ずかしながら,勘違いも甚だしい。『漢字源』には,
この士印は,進みゆく足の形が変形したもので,「之」(ゆく)と同じ。士・女の士(おとこ)ではない。志は,心が目標をめざして進み行くこと,
とある。
心の之(ゆ)くところ,
ともある。『大言海』は,
こころざし
と
こころざす
を分けている。
こころざす
は,
①心,其の方へ,動き向かう,思い立つ,めざす
②志して,贈る,あたふ
③亡霊へ,香花を手向く
とあり,
こころざし
は,
①(こころざすの)①,こころばせ,こころばえ,おもいこみ
②贈り物,進物
③亡霊への手向け,追善,追福
とある。では,漢字としての「志」の意味は,というと,
①こころざす,ある目標の達成をめざして心を向ける。「心」+さすに由来する訓。志向。
②こころざし。ある目標をめざした望み。またあることを意図した気持ち。大志。立志。
③しるす。書きとめる。「誌」の同系。
④書きとめた記録
⑤はた,幟に通ず。
⑦やじり
⑧節義,または見識のあること。
とある。
志向性
というより,単に,
指向性
を示しているにすぎないように見える。しかし,違う気がする。
ただ目指す
という意味よりは,
尖り
を感ずる。
志士
士気
志節
志操
志願
志格
等々という語句には,
志
という言葉のもつ倫理性を強く感じる。倫理性とは,僕流儀では,
いかに生くるべきか
というその人のコアの価値観のようなものがある。
同じめざすにしても,そういう倫理とつながる。だから,
吾十有五にして学に志し
は,単に学問を学ぶというようなことではないのではないか,そこに,「志」が使われている意味は。
当然,『近思録』の由来となった,
博く学びて篤く志(し)り,切に問いて近くに思う,仁はその中にあり
の「志」を,知るに当てるには,それなりの重みがある,と見なせる。因みに,貝塚訳注では,
「志」を「識」つまり記憶するという解釈に従った。「学」は他人に習うことであり,この習ったことを「篤く志る」
とある。一般には,
博く学んで篤く志し,切に問いて近く思う
というように,こころざし,と読ませているが,すでに学ぶこと自体が,
学に志し
ているのだか,志して学んでいるものが,改めて,
博く学んで篤く志し,
は,変である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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