2014年08月01日
77年周期
最近変なことに気づいた。
明治維新が,どこを起点にするかによって微妙だが,鳥羽伏見での幕府の敗北か,その前の王政復古の宣言かで,一年位違うが,1867年か1868年か,そこから敗戦の1945年まで,約77年。
そして敗戦から, 77年になるのが,ちょうどオリンピック頃となる。
僕は密かに
77年周期
を信じ始めている。
外圧に拠るか,自壊によるか,天災によるかは別にしても,77年を迎えるのはオリンピック直後,敗戦かあるいは江戸幕府崩壊に匹敵する何かが起きる気がしてならない。
単なる数字合わせかもしれない。
ひところ,ツイッター上で,こんな類比が流れ続けていた。妙に重なっている(気がする)。
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック
1941年 太平洋戦争
2011年 東日本大震災
2013年 秘密保護法
2020年 東京オリンピック
しかし,東京オリンピックまでもたないのではないか,という危惧もあるが,この後に,
2021年
を加えて,明治維新と敗戦の年を加えると,
1868年 明治維新(王政復古の宣言を取ると,1867年)
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック
1941年 太平洋戦争
1945年 ポツダム宣言受諾
2011年 東日本大震災
2013年 秘密保護法
2020年 東京オリンピック
2021年 ?
となる。何となく気味が悪い。
貧富の格差が拡大し,長期に経済が停滞した閉塞状況,中韓への意識と言い,「東京オリンピック」浮かれて,1930年代へと向かう社会状況と,どこか似ている。
われわれは,歴史から学ばない。だから同じ轍を何度も踏む。一部のというか,為政者の大勢(超党派の200を超えた議員による「東京裁判史観」からの脱却を目指すグループがある等々)は,敗戦後の体制が嫌なのだろう,決して敗戦自体を認めようとしない。それは,敗戦で死んだ人々への何の自責もないということだ。
しかし,かつて威勢良く,八紘一宇とかといって戦争に駆り出された軍隊がこれほど悲惨な目にあった戦争というのは,世界にほかに例がないのではないか。軍人・軍属あわせて二百三十万人の戦没者が出ているが,この半数以上が餓死者と言われる。戦闘ではなく,補給の断絶による死とは,戦略の死である。
いやいや何より,戦争自体が,
政治の死であり,政治の敗北である。
だから,開戦できても,終戦の仕方が決断できず,二発の原爆をおとされてもなお,決断できなかった。
決められないのは,いまに始まったことではない。
しかし,だ。戦後レジームの脱却の先で,目指している国は,どうやら,戦前もどきらしいのである。たとえば,それは,自民党の憲法草案を見れば一目瞭然,日本国憲法の前文にあった,
全世界の国民が,ひとしく欠乏から免れ,平和の裡に生存する権利を有する
が削除されている。「平和の裡に生存する権利」を認めないということであろうか。
そして,「第三章国民の権利及び義務」では,
第十二条(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力により,保持されなければならない。国民は,これを濫用してはならず,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し,常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第十三条(人としての尊重等)
全て国民は,人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については公益及び公の秩序に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大限に尊重されなければならない。
第二十一条(表現の自由)
1 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,保障する。
2 前項の規定にかかわらず,公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い,並びにそれを目的として結社をすることは,認められない。
とし,常に,
公益及び公の秩序に反しない限り,
公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い,並びにそれを目的として結社をすることは,認められない。
と,制約条件が付いている。それは,「公益及び公の秩序に反」に反すると,いつでも投網の範囲を広げる自由が権力側に与えられている。そう,縛りをかけたほうが,
一切の表現の自由は,これを保証する
とする方が,為政者にとって面倒で厄介に違いないのだ。それも含めた,戦前への回帰にほかならない。さらに,
第十章 最高法規
が,削除された。そこにあったのは,第九十七条,
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
である。さらに,それに先立って制定を目指す,国家安全保障基本法では,「国民の責務」として,
国民は,国の安全保障施策に協力し,我が国の安全保障の確保に寄与し,もって平和で安定した国際社会の実現に努めるものとする。
定めている。
こういうカタチで進められている体制に想定されるのは,まぎれもない戦前の復活である。自由とは為政者にとって厄介なもののはずだ。それを右向け右にすれば御しやすいかもしれない。しかし,そんな集団が強いはずはない。現に,対米戦で,奇襲を除くと,ほとんど日本は負け続けた。
しかし,負けを負けとして認めようとしないマインドにとっては,戦後の,東京裁判は屈辱なのだろう。しかしそれ前提にしたサンフランシスコ講和条約で,日本は戦後の国際社会に復帰し,この日の経済地歩がある。A級戦犯合祀の靖国参拝は,戦後体制への挑戦に見えるはずである。
靖国神社の松平永芳宮司は,
国際法的に認められない東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない
との信念からA級戦犯合祀に踏み切った(だから以降,昭和天皇はそれを痛烈に批判し,以来天皇は一度も参拝していない)。まさに,合祀とは,東京裁判の否定であり,ひいては,サンフランシスコ講和条約自体の否定である。それは,中国,韓国がどうのこうのというレベルの話ではなく,サンフランシスコ講和条約を基礎としてアメリカが築いてきた戦後世界秩序への挑戦なのであり,それは今日の世界全体を敵にするというに等しい。
それが,果たして,アメリカが望むことなのか,ということが真摯に検討された節はない。その覚悟を持って,靖国参拝をしているようにも見えない。もはや,現実を直視するというより,どこか妄想の世界に生きているように見える。
国のために亡くなられた方々を云々
などというレベルの問題ではない。
しかし,戦後レジーム脱却を目指す方々にとっては,そんなことはどうでもいいらしいのである。経済的な不利益も,国民の難渋も,世界的な孤立も視野には入らない。
この先に来るものは,経済の行きづまりか,尖閣をめぐる一触による偶発的な戦争か,第二次関東大震災か東海地震による津波か,は知らないが,大きな崩壊が来るように思えてならない。
200万余の戦死者,それに倍する国内被災者,周辺諸国の人々を含めたらその10倍以上の悲惨をもたらした戦禍で瓦解した戦前の体制への復帰が,どう考えても,国民に幸せをもたらすとは思えず,戦後レジームが破壊されると同時に,そこで,日本という国が,三度目の大変革を迫られる事態を迎えざるを得ない気がしてならない。
そして,それは,いままでの流れからは,外圧によるか天災による自壊になる可能性が大きいのである。しかし,マルクスが言った,
「歴史的な大事件や重要人物はすべて,いうならば二度繰り返される」とヘーゲルはどこかで指摘したが,彼は以下のことを付け加えるのを忘れている。一度目は悲劇だが,二度目は茶番劇だということを,
になぞらえるなら,
一度目は悲劇
だが,
二度目は,同じ轍をわざわざ踏む,
喜劇
にほかならないのではあるまいか。
参考文献;
豊下樽彦・古関彰一『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)
マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(岩波文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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