口跡


先年亡くなった,十二代目團十郎は口跡が悪い,

という言われ方をしていた。

口跡は,普通に辞書を引くと,

ことばづかい
歌舞伎で,俳優のせりふまわし,またその声色

と出る。『大言海』には,

ことばの状

とあり,

声(こわ)遣い,声音,声色,

とある。語源的には,

口(言葉)+跡(言い方)

で,「特に,歌舞伎での俳優の言いまわし,セリフ回し」を指すらしい。筆跡に対する口跡という意味がある。となると,「跡」が気になる。

跡は,

あと,月次と同じ間をおいて転々と続く歩いたあと。転じて足跡。迹,蹟と同系。
あと,モノがあったあと,物事が行われたあと。

亦は,胸幅の間をおいて両脇にあるわきの下を示す。足+亦で,間隔を置いて続く足跡

という意味らしい。

こう考えると,

口跡は,

単なる「せりふまわし」ではなさそうだ。因みに,「せりふまわし」は,

台詞の言いまわし,

とある。では,言い回しはというと,

言いあらわし方,ことばの使い方

となる。なんとなく循環して,結局

言い方

につきる。口跡が悪いというのは,僕は,

台詞の切れが悪い,

と思っていた。昔の中村錦之助,萬屋錦之介が僕のイメージでは口跡の言い例になる(いまの歌舞伎界では,二代目吉右衛門も口跡がいい部類らしいが)。べらんめいというのではない。せりふの跡がきちんとたどれる,あるいは,ひとまとまりの意味をなす言葉が,ドットとして出てくる。というか,ドットとして連なる言葉の列がこちらにきちんと残る,ということだ。もちろん,声が,内に籠っては話にならない。

世界大百科事典 第2版の解説によると,

俳優の音声演技の一要素。歌舞伎俳優の発声法,せりふ回し,エロキューションなどのせりふ術と,声音,高低などの声の質の両面をいう。歌舞伎の演技は,おもにせりふとしぐさから成り立つが,なかでも,古来から〈一声二振三男〉といわれるほど口跡の良さは,役者の質を評価する重要な要素である。口跡は役者の財産という意識がそこにある。【富田 鉄之助】

とある。「一声二振三男」は,「一声二顔三姿」とも言われるが,優れた歌舞伎役者であるために求められる条件を並べたもの,といわれる。

顔や身振り手振りよりも,まず,

口跡

と言われる。調べると,

「歌舞伎のせりふには,河竹黙阿弥作品に代表される七五調の音楽のような美しい名せりふや,『ツラネ』といって荒事芸などで主人公が花道で延々と(吉例などを)述べる長ぜりふ,2人以上の役者が交互に自分のせりふを喋り,最後,デュエットのように全員で声を合わせて終わる『割(わり)ぜりふ』,更には数人の役者がまるで連歌の会を催しているように順々にあとを続ける『渡りぜりふ』など,場面場面に応じた様々なせりふ術があります。(『歌舞伎のおはなし』)

とあって,台詞回しは生命線に違いない。その意味で,メリハリというのは,なかなか意味が深い。

「歌舞伎のせりふ術で,音の緩急・強弱・高低・伸縮などの技術のことを『めりはり』と言います。これは『滅(め)る』(=緩む)と『張る』(=強める)が一つになったものです。そして『めり』と『はり』がよくきいていて,せりふが観客に鮮やかに聞こえることを『めりはり』があると言います。」(仝上)

ともある。どうやら,単に言葉が,ドットとしてただ同じサイズが点々と続くだけではなく,それにドットの大きい小さいが必要ということだ。それは,拍子というか,リズムというか,アクセントの有無といってもいい。

単に歯切れのいい喋り方だけではなく,声の質も関係がありそうだが,それ以上に,

聴き手側に,ことばの軌跡が残る

ことが大事なのではないか,しかも,

心地よい調子

として,という気がしている。そう言えば,銚子のいい台詞回しは,耳に長く残る気がする。その意味では,

ボイストレーニング( Voice training)

とは目指すものが違う気がする。発声訓練をすることで,声が外に出ても,声が,点として軌跡を残すしゃべり方にはならない。

かつて受けたトレーニングでは,声が大きいというのは,

遠くに届く

ことであって,相手に届けたれば,ボールを相手に投げるように,相手を見て言葉を投げろ,と言われた。確かに,そうだろう。遠ければ,遠い相手に届くように声を出す。

滑舌

という言葉があるが,それは,喋るとき,

相手に理解してもらうために舌や顎や口をうまく動かしてはっきりとした発音をする動作

のことを言う。ボイストレーニングではここまではするらしい。しかし,やはり,口跡とは,少しだけずれる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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