気まま
NHKの番組で,唯ひとり集団的自衛権反対の論陣を張った鳥越俊太郎は,帰路ヤバイ目にあったと言われているし,ネットでは罵詈雑言の嵐だったと聞く。
いまの世の中の風潮を如実に表している。反対者を,徹底的に叩く,しかも,肉体的精神的にも追い詰める。
そんなに嫌なら,日本を出ていけ
という論調である。いまの日本が嫌なことと日本そのものが嫌なこととはイコールではない。よしんば,日本が嫌でも,この日本に生きている資格はある。意見が違おうと,価値が違おうと,生きていく資格がある。基本的人権とはそういうことだ。それを,反対者を徹底して追い詰めていく。まるで,
人非人
のように,この傾向は,いわゆる,
バッシング
の中にすでに垣間見られた。記憶に鮮烈なのは,かつて,イラクで活動していた女性が過激派に囚われたとき,国を挙げて,
自己責任
の名のもとに,追い詰め,押し潰した。そのとき,イタリアは国を挙げて救出しようとしていたのと好対照だ。かつての,
国賊
と言われるのとほとんど同じである(最近は,反日というレッテルになっている。反戦は反日,反原発も反日…らしい)。日本には,いまや,
民主主義
はない。いや,もともとなかったのかもしれない。それが,いま,露呈した。民主主義のないところに,
自由
はない。自由のないところに,
個性
も
創造性
もない。いま,日本が停滞しているのは,単に経済だけではない。20年以上バブルの後遺症が続いているのは,われわれにそれを打ち破る知恵と創造性が失われている証拠でしかない。
人と意見の違うのは,当たり前,だから,
議論
するし,異見を戦わす。カーネギーが,
意見の不一致を歓迎せよ,
ふたりの人がいて,いつも意見が一致するなら,そのうちのひとりはいなくてもいい人間だ。
と喝破したことを思い出す。
意見が違うからこそ,おのれひとりの自己完結した狭い発想から広いパースペクティブへと広がる。
先日の被爆者との懇談で,
見解の相違
といって,異論を退けて顧みないトップというのは,その瞬間,民主主義も自由も弁えていない,ということをしょうめいしたようなものだ。意見の相違は,前提でしかない。その上で,異見を言わせた結果,
意見の相違
で切り捨てるのは,異見を言わせたのが,たんなるセレモニーでしかなかったことを,露わにしたと言っていい。
最高の責任者は私だ,
と豪語したそうだが,そんなことは当たり前だ,すべての責任を取るために,国のトップなのだ。しかし,それは結果についてであって,結果のプロセスぬきに,
はじめに結論ありき
で,自説を通すなら,議会もいらない,国民もいらない,それなら,国家の私物化である。それを独裁国家という。この時点で,気づくべきであった。ヒトラーか金になりたがっているということに。
議論に負けても意見は変わらない,
とカーネギーの言う通りかもしれない。しかし,お互いが,異見であることを確かめなくてはならない。その上で,共有しうる結論を導き出せさなくてはならない。それさえなされないなら,異見を許さないに等しい。
自由
とは,中国語で,
きまま,心のまま,思うまま,
が語源。明治に,
Freedom
Liberty
の訳語として使われた。一説では,
freedomは束縛されない自由,,
libertyは束縛から解放された自由.
というが,ここに,自由の語を当てたことが,われわれにとっての,
近代的自由(あるいは束縛からの自由)
と
個人としての気ままさ
の間の曖昧さに,自由をないがしろにしたり,されたりすることの重みに鈍感な根源があるように思える。
が,しかし,ふと思う。哲学的,政治的意味はさておくとしても(どうせ無学な僕にはわかりっこないので),
「きまま」は,
キ(気持ち)+ママ
で,気持ちの向くまま,ということだ。これができる,いや,飢え死にしようとどうしようと,おのれの意志のまま生きていい,ということが,そもそも自由の意味だとすれば,それは,自由の根源にかかわるのではないか,という気がしてきた。種田山頭火ではないが,
春が来た水音の行けるところまで
がありでなくてはならない。
自由とは,少なくとも,
おのれがいかに生きるか
について,それぞれの人との意志にゆだねられる。それが,
人としての尊厳
である。とすれば,結論ありきで,「生き方」「考え方」を押し付けられても,それに,
No
を言うべき資格が,人として与えられている。好戦的でアナクロな右翼が多数派か少数派か知らないが,
人に意見を言わせない,
異論を許さない,
ということ自体で,その人が,自由な意志を持った人間ではない,ということの証明でしかない。人が異論を言うのは,
どのように生きるかはその人の自由,
という根本がわかっていない証拠だからだ。
しかし,いま,そういうこと言うことさえ許さない世の中になりつつある。それかあらぬか,報道の自由度は,世界で,
59位
にまで落ちた。鳩山内閣時代は,11位であった。
参考文献;
D・カーネギー『人を動かす』(創元社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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