2014年08月30日
気骨
昨今気骨のある人間が少なくなった,
などときいたふうな口をきく輩が大嫌いである。では,いつの時代ならいたのか。いやしないのである。そんな人間が一杯いたら,日本は今日の体たらくになりはしないし,無益で無謀な戦争にも突入しはしないし,欧米列強の尻馬にのった侵略戦争などを,しはないのである。幕末にだって,そうはいなかった。いたら,戊辰戦争もあんなていたらくになりはしない。
気骨とは,
奇(めずらしい)+骨(人柄,気立て)
が語源。
風変わりなすぐれた性格を言うらしい。言い得て妙ではないか。
気骨の,「気」は,いわゆる,
人間の心身の活力
とか
感情や衝動のもとになる心の活力
とは,直接は関係ないらしい。因みに,気(氣)の,
气
は,息が屈曲しながら出て来るさまで,「氣」は,
米をふかすときに出る蒸気のことらしい。
辞書的には,「気骨」は,
自分の信念に忠実で容易に人の意に屈しない意気,気概
という。下手をすれば,
偏屈,
へそ曲がりなのである。類語はというと,日本類語大辞典で,
気骨
をひくと,
いき
を見よとくる。で,「いき」をみると,
士気,侠気,血気,生意気
と並んで,気骨がある。
(社会一般から見れば)ヤクザの侠気の程度だという言い方もできるが,剛健の項にいれて,
剛毅,気概,硬骨,気丈夫,反骨,強直,豪気,不撓,不屈,
と並べるのもある。しかし,
剛毅朴訥仁に近し
というのだから,やたらめったらいないのではないか。孔子は,
中行を得てこれと与にせずんば,必ずや狂狷か。狂者は進みて取り,狷者は為さざる所有るなり
といい,中庸の人がいなければ,狷者,すなわち強情屋を友とする,と言っている。
こう見ると,気骨とは,ある一点で,
頑固である
ことなのではないか。それが,どの一点かで,たんなる頑迷か強情張りになるか,骨のある人間と見られるか,の分かれ道のようなのである。
ここからは,妄想だが,地続きにせよ,
頑迷,固陋,偏屈等々は,
たんに個人的なこだわり,あるいは単純な性癖
を指しているという印象が強いのに対して,
気骨のこだわりは,
信念,信条,思想
に対する強い志向があるのではないか,という気がする。ただ,何かに強く粘着するというのは,ある意味,
気質的なもの
だから,共通している部分があり,梃子でも動かくなった瞬間は,たんなる頑迷固陋にしか見えなくなる可能性は高い。そうなれば,
たんなる頑な,ものごとの理非曲直を弁えぬ輩に成り下がるかもしれない。
その程度の頑迷な輩が,気骨あるなどと間違われている程度なのではないか。
参考文献;
芳賀矢一校閲『日本類語大辞典』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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