2014年09月05日
戀
戀の字の,「心」の上の部分は,
絲+言(ことばでけじめをつける)
からなり,
もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられないこと
といい,亂・乱(もつれる)と同系統の言葉という。
亂の左側は,
糸を上と下から手でひっぱるさま,
らしい。それに右側は,
乙
印で抑える意。合わせて,もつれた糸を両手であしらうさま,だという。
戀
は,亂を音符として,心を加えた字
で,
心がさまざまに乱れて思い詫び,思い切りがつかない
の意となる。
巒(きりなく連なって続く山々)
とも同系統という。
別の出典では,
「糸+言(つなぐ)+糸」+心
とも言う。
心を言葉で糸のようにつなぐ,
意味という。しかし,少し作為に過ぎる気がする。そうではない。心を言葉の糸でつなげないから,乱れるのではないか。
恋路の闇
という。
お七こそこいぢの闇の暗がりに,
と浄瑠璃でうたわれる所以である。
なぜなら,恋は盲目ではなく,妄想だからだ。
妄想とは,
ということを真面目に考えるとややこしくなるが,中国語では,
妄(みだり)+想(空想)
で,事実でないことを空想して信じ込むこと,という。要は,
根拠のない主観的な想像
ということになるが,違う言い方をすると,
勝手な思い込み,思い入れ,
ということになる。それは,基本的に,一方的なものだ。だから,僕は,恋は,基本,
片思い
なのだと思う。
仮に,その妄想を相手が受け入れても,同じ妄想とは限らない。相手も相手の思い入れの妄想を描く。言葉ではつながらない。同じ言葉でも,その言葉の向こうに見ているものが違うのだから。
こういうとシニカルに聞こえるかもしれないが,永年連れ添ったからといって,
思いが重なる
とは限らない。重なっていると思い込むことはできる。むしろ,
重ならないズレ
をお互いが了解し合っている,というところに,年月の積み重なった智恵がある(のかもしれない)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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